「大郵便道路(23)」(2025年01月15日) イ_ア語のネット記事によると、昭和18年11月9日付けの軍政監決定書にこう記され ているそうだ。 ジャカルタ県役所をタングランに移転する件に関する治(オサム)Sienaishi1834号 で次の布告が出された。第一条 タングラン県役所はタングラン県タングラン郡タングラ ン村タングランの町に置かれる。第二条 ジャカルタ県の名称はタングラン県に変更され る。この法令の付加規則は昭和18年(2603年)12月27日から有効である。 ジャカルタにて 昭和18年(2603年)12月27日 ジャカルタ州長官 今でこそタングランは県と市に分かれてバンテン州の経済センターになっているものの、 2000年にバンテン州が西ジャワ州から分離する前は西ジャワ州に属していた。タング ラン県が日本軍政期に発足するまで、そこはどうやらジャカルタ県になっていたようだ。 西ジャワ州タングラン県の歴史は1943年から2000年までの間だったと言えるだろ う。その前はバタヴィアの一部だったように推測される。 ちなみにタングラン市の発足は1993年2月28日であり、タングラン市がまだできて いなかったときのタングラン県の面積12.2万Haは、タングラン市の発足によって1. 7万Haに縮小してしまった。そのときにタングラン県の首府がティガラクサに移されてい る。インドネシアの行政区画は州の下に県と市が同格で併存していることをお忘れなく。 ジャボデタベックコミュータラインのタングラン駅からすぐ近くにプンドポと呼ばれてい る大きな建物がある。そのプンドポが建てられたのは19世紀末もしくは20世紀初期で はないかと推測されている。チサダネ川を背にした樹木あふれる広大な一角を占めている プンドポはかつてタングラン県令が住んで執務する行政センターだった。タングラン県令 の建物がタングラン市のど真ん中にあるのは、上で説明したような事情のためだ。 建物の構造は中央の主館と両翼から成っていて、主館は居住区とメインオフィス、右翼は 官房と家宰、左翼は会議や集会あるいは学習などに使われていたという話が語られている。 この公邸の近くにはチサダネ川にかかる橋があり、セランやマウクに通じている。またオ ランダ時代に既に鉄道駅があって、バタヴィアにつながっていた。それが現在のコミュー タラインタングラン駅だ。 オランダ時代にこの建物はタングラン監視官の公邸として行政の中心になっていた。国家 の記念日には館の表に木製の舞台が作られ、国旗が掲揚されて地区最高行政官のスピーチ が行われた。 オランダ人はその建物をControleurswoning te Tangerangと呼んでいた。家族と一緒に住 むのが普通だったから、タングランの監視官宅と呼んだようだ。最後の監視官としてそこ に住んだのがAHファン ダインゼで、かれはクラテンとボヨラリの監視官を務めてから1 939年にタングランに赴任してきた。かれの業務は1942年に日本軍によって打ち切 られた。 日本軍政下に西ジャワ州タングラン県になったこの地方の県令が監視官公邸を使うことに なり、それ以降、タングラン市ができるまで、プンドポは県令公邸として使われ続けた。 タングラン県の首府がティガラクサに移転したため、プンドポは県令公邸として使われて はいるが県令一家の居住と公務に関わる儀式がメインの用途になっている。県令はティガ ラクサへ通勤して執務しているそうだ。[ 続く ]