「大郵便道路(24)」(2025年01月16日)

< バタヴィア Batavia >
タングランから大郵便道路を25キロ進むとバタヴィアに達する。しかしタングラン〜バ
タヴィア間で大郵便道路の工事が行われたとは思えない。その時代にはタングラン〜バタ
ヴィアとバタヴィア〜バイテンゾルフ間に立派な道路が既に存在していたのだから。

大郵便道路として工事の行われた道路がないとなれば、そこでの大郵便道路とは郵便馬車
がどのルートを通ったのかということになるのだろう。もっとも合理的な路線はタングラ
ンから今のダアンモゴッ通りを通り、そのまま直進してハシムアシュアリ通りを経てから
ヴェテラン/ジュアンダ通りに下がり、直進してポス通りを越えてグヌンサハリ通り(南
往き街道)につながったのではないかという気がする。

城壁都市の旧バタヴィアへ向かわなかったのは、ダンデルスがその城壁を取り壊し、城市
内の東北端に建っている2世紀近い歳月を経たバタヴィア城をも取り崩して、もっと南方
のヴェルテフレーデンにバタヴィアのセンターを移転させたのがその理由ではないかと推
測されるからだ。

旧バタヴィアを過去の街にしようというのに、新しい大きな街道をそこにつなげて何の意
味があるだろうか。ちなみに大郵便道路プロジェクトとヴェルテフレーデン建設プロジェ
クトの時期的な関係を見ると、こんな印象が浮かび上がってくる。

アジアにおけるVOCの総本部で、総督の居所兼執務場にもなっていたバタヴィアカステ
ィル内総督館をヴェルテフレーデンに移転させることが多分そのプロジェクトの目玉にさ
れたようにわたしには感じられる。総督館前の儀典広場としてバンテン広場を用意し、現
在大蔵省本庁建物にされているDe Witte Huisを総督館として建設することがヴェルテフ
レーデンという新都市建設の地割のための基準点にされたはずだ。

その新総督館建設工事の開始日は1809年3月7日とされているから、ヴェルテフレー
デンの用地開発はその前から既に始められていた可能性が高い。1808年5月に開始さ
れた大郵便道路建設工事は一年を経過しないで完了し、1809年に使用が開始されたと
いう説をそこに重ね合わせるなら、ダンデルスはそのふたつのプロジェクトを一枚の設計
図の上で見ていたのではないかと思われるのである。

つまりタングランからやって来る大郵便道路は旧バタヴィアに向かう必要性がなく、ヴェ
ルテフレーデンを通過すればそれで充分だったはずだというのがわたしの推測したシナリ
オだ。

ダンデルスがバタヴィアを去ったとき、その新総督館はまだ屋根も載っていない状態だっ
たそうだ。結局、完成したのは1828年だった。たとえそうであっても、ダンデルスは
バタヴィア在任中にヴェルテフレーデンを政府高官居住地区、民間オフィス、種々の軍事
施設などの並ぶ壮麗な新都市に作り上げてからバタヴィアを去っていった。カトリック教
会さえもがその中に含まれていた。[ 続く ]