「福建語好きのイ_ア人(6)」(2025年01月21日)

ちなみに、通貨の正式呼称はフルデン - セントだったが、フルデンの異名としてフロー
リンも使われ、またプリブミはルピア - センを常用した。だから古い書物を読むとGulden 
- Florin - Rupiahという名称が混在しているが、すべて同じものと考えればよいだろう。
特にブタウィ人はルピアよりもPerakの方を愛用したように思われる。

1970年代でも価格の話の中にルピアという単語が出てくることがあまりなく、地方人
のわたしも買い物する場面ではBerapa perak?を連発していた。

なぜ、銀という言葉が通貨の名前として使われたのか?フルデンの語源は黄金なのだが、
東インド植民地の1フルデンコインは銀貨だった。銀はサンスクリット語でルピヤと言っ
た。インド人はその言葉をルピーという通貨名称にし、東インドのひとびとはルピアとい
う言葉にして使った。だから現在のインドネシア共和国公式通貨名称のルピアがオランダ
時代から使われていたということが言えるかもしれないが、誤解してはいけない。それは
言葉の世界でのみ起こった現象なのであり、ルピアと表記された貨幣があったわけでは決
してないのだから。


オランダ時代にオランダの会社で事務員をしていた老人の話によると、ce-pengと呼ばれ
ていた1/2 centコインでトラシや唐辛子あるいはバワンを買うことができた。別の人の話
では、豆腐を二切れ買えたそうだ。ペンという名称は中国語の?に由来しているという解
説も見られる。

このチュペンというコインも世界中の人類が最低金額コインに対して行っているのと同じ
ように、インドネシアの一般大衆に賤しめられた。なにしろ1セントより小さいのだ。と
てもお金とは思えないという感触を抱いたとしても不思議はない。だからチュペンみたい
なコインはお金のうちに入らないぞという気持ちが庶民の間で流れていたことが推察され
るではないか。

いわく、cepeng bau tahi ayam。どうして鶏糞の匂いがするのか訳がわからないのだが、
ともかくチュペンが軽んじられ虐げられている雰囲気はそこからひしひしと伝わって来る。
金がなくてチュペンくらいしか持っていなければ、そんな言葉で冷やかされたことが想像
されるのである。

そうではあったも、たとえ鶏糞の匂いが鼻に付いてもそれで品物が買えるのだから、たい
へんなものだとわたしは思う。日本の1円コインで買えるものが何かあっただろうか?そ
れを思えば、インドネシアが半端でない国であることがわかる。


別の老人によれば、オランダ時代にスコララヤッ(国民学校)の生徒だったかれは親から
一日の小遣いとしてce-ginと呼ばれる1セントコインを毎日1個もらっていた。チュギン
が一個あればnasi udukやketan urapあるいは菓子類を買うことができた。sepincangと呼
ばれている1.5セントでナシウドゥッに豆腐が付いたそうだ。

seketipつまり5セントで普通級の米2リットルが買え、最高品質のチアンジュル米です
ら1リットルを買うことができた。sebenggolあるいはsegobangと呼ばれる2.5セント
で鶏肉あるいは卵のおかずで白飯が食え、sepicisあれば友人を誘って大手を振って食堂
に入って行けた。そのころ、jangkarビールやbintangビールはひと瓶がce-koつまり
seringgitだった。[ 続く ]