「大郵便道路(29)」(2025年01月23日) コルネリス・スネンが住んだ邸宅が今もジャティヌガラ鉄道駅の向いに建っている。鉄道 駅の表を東西に走るブカシバラッ通り76番地の広い敷地の中央で、円柱を構えて建って いる大きな建物がそれだ。しかしその豪壮なデザインはダンデルスが作らせたものであり、 スネン自身が建てたものはもっと素朴なデザインだったそうだ。 ダンデルスはジャワ島防衛軍の本部をバタヴィアからメステルに移してそこを軍事都市に した。そのとき、軍営・兵舎・士官学校・兵器技術学校などが設けられている。 1811年8月、ヴェルテフレーデンを制圧したイギリス東インド会社軍はフランス=オ ランダ防衛軍の本拠地になっているメステルコルネリスに攻めかかった。ブキッドゥリの 要塞攻防戦で激戦が展開されている一方で、コルネリス・スネンの邸宅がある一帯でも戦 闘が展開され、フランス=オランダ軍部隊はスネン邸にバリケードを構築して防衛戦を行 ったという話になっている。 多分その後だろう、その南部に広がる湿地帯に戦闘が移って行き、そして湿地帯には戦死 者の遺体が限りなく散乱した。それ以来、地元民の間でその湿地帯エリアがRawa Bangkai と呼ばれるようになり、インドネシア独立後までその地名が維持された。 しかし湿地帯が埋め立てられて住宅地区に転換されたあと、住民たちはその縁起でもない 地名を嫌がった。そして1970年代に地名がRawa Bungaに替えられたのである。死骸が 華になるというのはあまりイスラム風でなく、どうも仏教的な雰囲気が感じられる。 スネン邸は2000年代に入るころまで陸軍が東ジャワ市第0505軍管区の司令部に使 っていた。軍管区司令部が別の場所に移転したために空き家になり、覚せい剤常習者の巣 窟になっていたという話が2005年ごろに語られている。 この歴史遺産を保存するため、2018年に都庁はそこを博物館およびブタウィ伝統芸能 保存の活動場所に指定した。ブタウィの著名芸能人ベンヤミン・スエブの名を採ってTaman Benyamin Suebという名が付けられている。 ラワブ~ガ町の西側がバリメステル町だ。そこに付けられているバリとはBali島のバリで あり、1667年以来それがその地区の名称になった。その理由はそこにバリ人の集落が あったからだ。バタヴィアの中にもバリ人集落はあちこちにでき、Kampung Baliの名前で 呼ばれた。初期のバタヴィアに、奴隷と自由人のバリ人がいかにたくさん住んでいたかを それが示している。カンプンムラユ、カンプンマカッサル、カンプンバンダ(ン)などは とてもカンプンバリの数に及ばない。 バリメステル町のほぼ中央にパサルジャティヌガラが位置している。この市場はジャカル タの中でも古い歴史を誇っている。パサルの中の旧地区は華人街になっていて、17世紀 に建てられた中国寺院「福?正神」Hok Tek Ceng Sinがあり、その寺院はインドネシア語 でVihara Amurva Bhumiと命名されている。その地区では中華様式の古い建物が寺院の周 辺にたくさん見られる。 パサルジャティヌガラという名前が一般化する前、その市場はPasar Sengと呼ばれていた そうだ。トタン板を売買する市場でなくて、トタン板が屋根に使われていたからそう呼ば れていた。 また市場の近くに小路があって、通りの名前がGang Tong Tekになっていた。華人の名前 を付けたように思えるが実はそうでなく、そこに石油のデポがあったのでそんな名前にな ったのだ。トンと言うのはドラム缶を指しており、テッはなんとCaltexのことだった。 [ 続く ]