「大郵便道路(30)」(2025年01月24日) Gang Leonieという名の小路もあった。この地名になったレオニーという女性は特別な偉 人でもなければ地域に功績をもたらした住民でもなく、単なる一住民の名前だった。ただ しかし、かの女の美しい顔と官能的なボディは男の目を引き付けてやまなかったのである。 レオニーが夕方自宅の中でお茶をするとき、家の表ではたくさんの男たちがちらちらと屋 内に目をやりながら、道路を行ったり来たりするのが習慣になっていた。 あるとき、ひとりのチェンドル売りが荷をかついでレオニー小路へやってきてゆっくりと 家の前を通ったとき、石につまずいて転び、荷もろともどぶの中に突っ込んだ。周囲にい た男どもは大笑いをしたという話がバタヴィア中の噂になった。いや、ただそれだけの他 愛ない話なのだが、レオニーという名前の知名度がそのおかげでまた上昇したはずだ。 都内の市場の改装工事の先頭を切ってジャティヌガラ市場の建物が1969年に完成し、 都内で最新鋭且つ最大の市場の栄誉を授けられた。工事は1月28日に知事による鍬入れ (インドネシアでは鍬を振るったりせず、基礎工事の最初の石を置く作業を高位者が行う) が行われたあと、計画された3百日間の工期よりも早く完了して11月10日に落成式典 が挙行された。 それ以来、今日に至るまで、ジャティヌガラ市場の名前は都民にとって重要な位置を占め てきた。中でも米の取引が大規模に行われて、米の流通に与える影響力は小さくないもの がある。 ほかにも宝石貴石市場があり、外国人愛好家もそこへ集まって来る。何しろ、タワルムナ ワルが可能であり、気に入った石を買ってリング売り場でお好みのリングを選び、その場 で石をリングにはめさせて持ち帰りができるという場所はそうあちこちに存在していない だろう。ジャカルタの中でジャティヌガラは最大の宝石貴石市場という定評が昔から語ら れていた。 カンプンバリができたころ、VOCを襲撃するバンテンやマタラムの臣民がその辺りにも 出没したので、家々の周囲に塀が作られた。その簡素な塀は1689年になって棘のある 塀に強化されたため、その地区の地名がBukit Duriになったという説明が見られる。しか しある研究によれば、ブキッドゥリの地名が見つかるのは1866年の地図以降であり、 それ以前にその地区がどんな名前で呼ばれていたのかは不明だそうだ。トポグラフィから 見るとそのエリアは周辺より小高い丘になっているので、ブキッと呼ばれる妥当性は備わ っているとのことだ。 ブキッドゥリはカンプンムラユ、カンプンバリ、カンプンマンガライに囲まれた地区だ。 その丘が特定種族のカンプンにならなかった理由もよくわからない。中にはドゥリ種族の カンプンがそこにできたのだと真面目な顔をして語るひとがいるそうで、引っ掛けられな いように気を付けなければならない。 ダンデルスはブキッドゥリに強力な要塞フォートメステルコルネリスを建設させた。その コルネリス要塞はオランダ時代末期に女子刑務所になっていたという話がある一方で、プ ラムディヤ・アナンタ・トウルは、1947年7月から1949年12月までNICAが かれをブキッドゥリ特別刑務所に収監したと書いている。1960年からほぼ1年間、プ ラムはナスティオン将軍の私的虜囚としてチピナン刑務所に入れられ、オルバ時代には4 年間サレンバ刑務所に投獄されている。今、ブキッドゥリ要塞〜監獄の跡地はショッピン グセンター地区になっている。[ 続く ]