「大郵便道路(31)」(2025年01月28日) < デポッ Depok > 大郵便道路はメステルコルネリスからパサルミング・レンテンアグン・ビダラチナを経て 22キロ南下し、デポッに至る、とプラムディヤは書いている。レンテンアグンやビダラ チナという地名は華人の存在が顕著な地域だったことを思わせる。その道路の周辺はたい ていが私有地にされ、ヨーロッパ人あるいは華人が地主になっていた。 デポッの町自体が元々VOC商務員だったコルネリス・シャステレインの私有地だった。 1696年5月18日、かれは7百リンギッを支払ってその土地を自分のものにした。そ して自分の家族と多数の奴隷を引き連れてそこに住み、自分の王国を築いた。奴隷はキリ スト教徒に改宗させて自由人にした。つまりシャステレインのデポッ王国では主人と奴隷 という人間関係でなくて主人と使用人という人間関係が営まれていたとそれを見ることも できるだろう。 シャステレインはデポッのほかにヴェルテフレーデンを私有地にして開発した。かれは大 勢の奴隷を引き連れてその土地に入り、開発を行って城壁都市バタヴィアが必要としてい る食料やミルクその他さまざまな資材の供給地にしたという話がある一方で、そこでコー ヒー栽培を行ってオランダ東インド最初のコーヒー農園を作ったという話もある。その地 域作りを行ってヴェルテフレーデンという地名を与えたのはシャステレインであり、ダン デルスがその土地にバタヴィアを移転させたために新バタヴィアの地名がヴェルテフレー デンになったという因縁がある。 デポッは古代人の居住地区だったと見られている。新石器時代に作られたと推測される紀 元前1万年ごろの斧や両端を尖らせた石の道具がポンドッチナとポンドックラパドゥアで 出土しているのだ。 デポッという言葉はスンダ語で「隠者の住む場所」を意味している。depokという単語は KBBIに採録されていないものの、pedepokanおよびpadepokanが見出し語の中にあり、 古代ジャワの王たちの瞑想場所という定義が記されている。 古代ジャワの王子たちは高徳の隠者が住む山中の塾に入って指導を受けながら修行し、王 になれば難しい問題を抱えたときに、自分のために作った山中の隠れ里に入って解決策を 考え、瞑想して啓示を得ようとした。それがパデポカンだ。シャステレインがその地を開 く前からそこの地名をスンダ人はデポッと呼んでいたそうで、バタヴィア城市内のひとび とは遠隔の地に住んだかれをその通りだと噂したかもしれない。 シャステレインが奴隷たちをプロテスタント教徒にして奴隷身分から解放したとき、その 入信を祭る儀式を行う機構を必要とした。シャステレインはそれを私有地の中に作り、そ の名称をDe Eerste Protestante Organisatie van Christenenとしたので、その頭字語で あるDEPOCがシャステレインの私有地の地名になったと語る説もある。 また別説としてDaerah Elit Pemukiman Orang Kotaという言葉を頭字語にして地名にした というものもあるが、それはアクロニムになるようにひとつの単語を分解して意味を持つ 文や句にする言葉遊びのような気がする。DEPOKという言葉が先にあり、デポッとはこん な町だという風刺をこめてアクロニムを作ったように思われる。だから語源というポイン トから見るなら、DEPOKの方がその句の語源に使われたと言えるのではあるまいか。 デポッという地名は、チリウン川とパサングラハン川にはさまれた広大な土地でバタヴィ ア城市から一日がかりの距離であることを意味して使われたと書いている記事があり、そ の面積は4.5ルーデx2.5ルーデだったと記録されている。1ルーデは3,767メ ートルだ。そうであればスンダ人がそのころそこを既にそう呼んでいた土地をシャステレ インが買ったことになる。[ 続く ]