「シャステレイン(終)」(2025年02月03日)

「・・・よってわが子、アントニー・シャステレインはクルクッ川の東にあって大河に至
っている別の森林に関わってはならない。なぜならその森林は解放奴隷たちの用途に供さ
れなければならないからだ。そしてまた、解放奴隷たちとその子孫はサトウキビ搾りのた
めにその森林の樹を伐ったり、他人に伐る許可を与えたりすることを一切行ってはならな
い・・・解放奴隷たちはその森林に破壊をもたらす原因になることを、そして子孫に苦難
をもたらすようになるであろうことを、一切行ってはならない・・・」
シャステレインの遺言書の中の一節にはそんな内容が書かれている。クルクッ川というの
は多分、現在のデポッ市リモ郡クルクッ町のエリアを流れていた川ではないだろうか。そ
こはチネレの南に当たっている。

シャステレインが永続を願ったデポッの自然は3百年という歳月を経て大きく変化してし
まった。今から50年くらい前まではまだまださびれた田舎の雰囲気が濃厚だったデポッ
は、ジャカルタの経済発展を支えるためのベッドタウンという政府方針によって今ではジ
ャボデタベックという広域経済エリアの中に包含され、濃密な住宅地区および商業都市の
顔が顕著になっている。そのジャボデタベックという首都圏構想が元々はジャボタベッで
あったことはもう忘れられているかもしれない。JAkarta-BOgor-DEpok-TAngerang-BEKasi
は最初、真ん中のDEpokが欠けていたのだ。

シャステレイン私有地にあったほとんどの農地農園や森林は姿を消した。そんな中で、デ
ポッ市内パンチョランマス町に残された6ヘクタールの森林が自然保護林に指定されて生
き残っている。この森林は元々150ヘクタールの広さを有し、そこはトラ・サル・シカ
・ウサギなど種々の野生動物のハビタットになっていた。そして私有地住民たちはそこに
籐・マホガニ・クチャピ・マトア・ワリソゴなどの有用樹種を植えた。

20世紀になって、自然保護の意識が高まってきたオランダ東インドに自然保存ソサエテ
ィが誕生し、運動が進められた。デポッ私有地行政府もそのパンチョランマスに残された
森林の保護をソサエティに委託している。

このソサエティが東インド政庁に自然保護行政を進言したことから、1926年5月13
日に出された東インド総督決定書第7号でチボダス=グデ地区が最初の自然保護地区に定
められた。


そのころはまだ広大だったパンチョランマス自然保護林はあっと言う間に小さくなる運命
をたどったのである。わずかに残されたこの自然を地元のひとびとはシャステレインに成
り代わって永続させたいと願っている。しかしデポッ市行政が支出できる予算は数人の監
視員を雇用して最低賃金にも満たない報酬を支払う程度のものでしかない。

地元民である監視員たちは保護林の中を清掃し、害樹や害虫害獣の駆除などできる限りの
保護を行っている。この森林を愛する地元民は少なくない。ひとびとは森林を壊さない経
済活動がこの森林で営まれることによって永続的な保護が可能になると考えており、蝶や
ミツバチの養殖活動を森林内で行う許可を出すよう行政に提言しているが、進展は難しい
ようだ。


なおインドネシアでは現在、Chasteleinの綴りがチャステレインもしくはカステレインと
発音されているので、ここに付記しておきます。フランス系の姓なのだから語頭のChaは
シャの可能性が高いのではないかとわたしには思われる。この綴りをオランダ語で読ませ
るとどうなるかということをある発音サイトで試し、拙著はその結果を使っていることを
付け加えておきます。[ 完 ]