「パチャルメラ(1)」(2025年02月04日) pacar merahは赤い恋人と翻訳されるだろうが、赤を恋する者という意味にも取れる。太 古の時代に人類が行っていた生活原理を復活させようとした思想家が数千年後に現れて世 界を二分する人類の一大対立が起こり、最終的に人類自身がそれを見捨てたあのイデオロ ギーを指す「アカ」という隠語はもう死語になってしまったのだろうか。 花々の愛好者はpacar airという花の赤色のものをpacar merahと洒落ることがあるので、 言葉の意味に単一の正解を期待してはならない。パチャルアイルという花は鳳仙花のこと だ。中国人はそれをフォンシエンホアと言い、日本人はホウセンカと呼んでいる。 パチャルメラインドネシアという冒険小説が1934年7月9日付けのプワルタデリに登 場した。プワルタデリはメダンで発行されていた日刊紙だ。そしてこの連載小説はいくつ かの編に分かれてその年の9月19日まで続いた。パチャルメラインドネシアは副題であ り、本題はオランダ語でSpionnage-Dienst(スパイ活動)となっている。もちろん小説本 文はパサルムラユ語で書かれている。 各編のタイトルにはSpionnage-Dienst: pengalaman dari seorang ksatrya Indonesia、 Bayangan dari pergerakan politiek di Timoer Djaoeh、Apa mimpi Pan-Melayu dapat diboektikan?、Kegiatannja kaki tangan PIDなどの語句が書かれてストーリーの深刻さ を煽り立てているようだ。 この作品は読者の人気を集め、1938年にメダンの書店&新聞セントラルが単行本にし て出版した。 話が脱線するが、四輪二輪の自動車で運転者が後ろの状況を見るために取り付けられてい るミラーのことをインドネシアではスパイ鏡(kaca spion)と言う。四輪の車内にあるバ ックミラーは中央スパイ鏡(kace spion tengah)、両サイドのものは脇スパイ鏡(kaca spion samping)という区別がなされる。 インドネシアで車を運転し始めたころにこの言葉を知ったもののスピオンの意味を知らな かったために、オドロキはスピオンというオランダ語を知ってはじめてやってきた。 インドネシアにヨーロッパ製四輪車が入って来た20世紀初期のころ、オランダ人がそう いう使い方をしていたのだろう。インドネシア語にはオランダ語由来の自動車パーツ名称 がいまだにたくさん残されている。現代オランダ人はもうスピオンという言葉を使わない 部品名称に変えているから、きっとかれらも一緒になってオドロクのではあるまいか。話 を戻そう。 1930年代というのはオランダ東インド文学界にとって、冒険ものや探偵ものなどの軽 い読み物が続々と市場を埋めた時期だった。その現象に関連して、それらの作品にはroman picisanというジャンル名が付けられた。ピチスというのは10セントコインの名前であり、 このコインは1854年から1945年まで庶民生活の中で使われていた。だからロマン ピチサンというのは10セントコイン級の小説という意味ではないだろうか。 ロマンピチサンは日刊紙の連載小説として月に1〜2回掲載されたり、あるいは50〜1 00ページの単行本として出版されるのが一般的だった。たいがいが冒険ものや探偵もの になっていて、スパイ・恋愛・裏切り・英雄的行為・神秘的なできごとなどがたっぷり盛 り込まれたお楽しみ小説になっていた。加えて民族主義が喧伝されている植民地という情 勢下にあったから、反植民地主義や反帝国主義などの政治的な香りが芬々と漂うものにも なっていた。 メダンでは、1920年代に華人ムラユ語文学が新聞や雑誌に連載されるようになり、そ の流れがロマンピチサンの出現を招いたと言われている。そのころメダンで出されていた 新聞雑誌類にはPewarta Deli, Loekisan Poedjangga, Doenia Pengalaman, Tjendrawasih, Doenia Pergerakanなどがあった。読者はそれらの出版物から大衆小説を読む楽しみを発 見したのである。1938年から1942年までの間におよそ4百タイトルが発表された そうだから、かなり密度の濃い現象だったにちがいない。[ 続く ]