「パチャルメラ(2)」(2025年02月05日)

パチャルメラインドネシアという小説はVichitraという名の青年が繰り広げた行動の軌跡
を描いた物語であり、かれのニックネームがパチャルメラだったのである。東南アジアを
股にかけたかれの行動が友人たち(そしてかれの敵をも)をしてパチャルメラインドネシ
アとかれを呼ばせた。

Vichitraという綴りの読み方にわたしは戸惑ったが、この綴りをインドネシア語で読ませ
てみたところフィチトラという音が聞こえた。ちなみにサンスクリット語を探ってみたら、
インドネシア語のcitraはサンスクリット語から摂取されたものであり、サンスクリット
語の接頭辞vi-は分離・断絶・禁止・矛盾などの意味をその言葉に添えるものであること
が判明した。著者はこの主人公にそういうイメージをかぶせたのかもしれない。


祖国インドネシアの独立を希求してオランダの植民地主義を粉砕する政治運動に身を投じ
たフィチトラは、オランダ東インドで政治犯として獄舎につながれるのを避けるために国
外に逃れた。しかし国外に出たら無事ということにはならない。国際共産主義が目指す国
家転覆と共産国化のための暗躍を闇の中で葬ろうとする国際秘密警察が国境を越えて網を
張っている。フィチトラはその各国にいるエージェントにつけ狙われるターゲットになっ
たのである。

タイに潜入したパチャルメラインドネシアは、タイの国際秘密警察に追跡された。そして
ニノン・パオという娘に助けられた。なんとニノン・パオはタイ国際秘密警察長官クン・
プラ・パオの娘だったのだ。ニノンはかれをセンゴラの街にかくまった。しかし包囲の網
はじりじりと狭められていく。かれ自身も、ただ逃げ回っているだけの自分が許せない。
パチャルメラインドネシアはシンガポール〜フィリピン〜カンボジャ〜香港〜中国と逃亡
の旅を続けた。船の中に隠れて密航し、僻地に作られた活動家の秘密基地の屋根裏に隠れ、
あるいは三人の息子を持って街中の場末に住む老女に変装したりした。

そんな逃走の日々の中で、パチャルメラは新たに結成された汎マレー人民ユニオンの第一
回会議に参加した。ムラユ諸国の大物が出席するそのユニオン大会議の中で、ハワイやマ
オリ、そしてオーストラリアのいくつかの島々の代表者が支持を表明した。
あるいは中国で開かれた太平洋労働者会議にも出席している。カンボジャにいたときは、
フランス植民地政府に対する民衆過激派の叛乱をも体験した。


かれは逃走行動の中でたくさんの人間と接触し、そして何人もの同志を得た。同志が自分
の国から国外に逃げるためにかれと一緒に逃亡したケースもある。Paul Mussotte, Ivan 
Alminsky, Darsnoff, Semounoff, Djalumin, Soe Beng Kiatなどがかれの行動にさまざま
な関りを持った。その中にはフランス・モスクワ・ベルリンなどに住んでいた者もいる。

モスクワにいたイワン・アルミンスキーは、部下たちから独裁者の綽名で呼ばれている上
層部のセモウノフから特別任務を与えられた。ダルスノフを探して東南アジアへ同行させ、
モスクワの支持に服するようにパチャルメラインドネシアを説得せよと言うのである。ど
うやらパチャルメラはコミュニストになってしばらくの間はモスクワの指令に従っていた
ものの、全面服従をやめて自分なりの動きを開始するようになった過去の経緯がその話か
らうかがえる。

アルミンスキーとダルスノフは長い捜索の旅路の果てに、中国の閘北でパチャルメラを見
つけるのに成功した。上海と閘北に対して開始された日本軍の軍事攻勢の傍らで三人の会
見が行われ、アルミンスキーはモスクワの命令をかれに伝えてそれに従うように説得した。
しかしパチャルメラはそれをあっさりと拒絶した。自分の目的はインドネシアの独立なの
であり、インドネシアをモスクワの支配下に置くことではない、と言って。[ 続く ]