「パチャルメラ(3)」(2025年02月06日) 言うまでもなく、このストーリーの合間に艶っぽいエピソードもからまっている。ニノン ・パオはパチャルメラインドネシアの心の隙間に自分の棲む空間を作らせようと努力した。 たとえそこがどこになろうと、あなたの行く場所へわたしもついていく、と言い張った。 しかし男の側にその心の余裕がなかった。自分の理想が達成されるまで、自分の闘いは終 わらない。闘いの渦中にいる男に、だれかと幸福を分かち合う想念は像を結ばないのだ。 「きみのことを実の妹のように思っている。きみとのことはいつまでも忘れない。」 ニノン・パオは去っていくパチャルメラを見送ることしかできなかった。 それとはまた別に、未来の予知能力を持っていたり、自分の姿を変えたり、あるいはテレ ポーテーションを行うような、荒唐無稽とも言える特殊な能力をパチャルメラが展開する シーンがストーリーの中に出現する。あの時代には、それが血沸き肉躍るお話の中に欠く ことのできない要素のひとつになっていたようだ。20世紀半ばごろの日本の少年たちが 読む人気小説にもそのような内容が含まれていたように思われる。 オランダの「言語・地理・人類学のための王立研究院」と直訳されるKITLVの要職を務め たハリー A プゼはこの小説について、事実を踏まえたフィクションだとコメントした。 1930〜1932年の世界の歴史を背景に置いて、オランダ東インドの共産主義者や左 翼過激派が実際に行った事件を踏まえながら、スパイ・政治・恋愛などのフィクションを そこに散りばめた作品がこれだ、とプゼは言う。 主人公のパチャルメラインドネシアとは実在した左翼系民族主義活動家のタン・マラカを なぞったものだとプゼは確信している。なにしろプゼはタン・マラカという人物像をライ フワークにし、その集大成が2007年に「非難と忘却:タン・マラカと1945〜19 49年のインドネシア革命における左翼運動」と題する2,194ページの超大作となって出 版されているのだ。実際にインドネシアの歴史学界でも、タン・マラカという人物につい ての真相に不可解な面が多々見られるためその人物評価にぼやけた部分を抱えていて、一 般社会で言われているアンタゴニストのイメージに偏りがあると感じているひとも少なく ない。プゼのその著作はインドネシアでのタン・マラカの評価に大衝撃を与えた。 タン・マラカという名前は一見すると華人のように見えるものの、タンはミナンカバウの 貴族の称号であるスタンを省略したものであり、中華姓の陳ではない。かれの父親は平民 で母親が貴族の娘だった。1897年6月2日にその両親の間に生まれたイブラヒムは、 貴族の血を引いている点を取り上げてダトゥッスタンマラカの称号で呼ばれることが多か った。ムラユ文化では、父親が貴族であればその子供は貴族とされたが、父親が平民であ れば母親が貴族であっても貴族と見なされなかった。イブラヒムはセミ貴族という扱い方 がなされたようだ。 イ_ア語ウィキペディアによれば、タン・マラカは教師であり、マルクシスト、闘争連盟 とムルバ党の設立者、ゲリラ戦闘者でスパイ、民族主義闘争家、国家英雄であるというの がその人物像だ。 かれはサレカッイスラムに入って民族運動の闘士となったが、サレカッイスラムが左翼系 と中道系に分裂したとき、スマウンが率いる左翼系サレカッイスラムの幹部のひとりにな った。そして左翼系サレカッイスラムはインドネシア共産党の中に吸収されていき、19 21年にタン・マラカはインドネシア共産党の党首の座に就いた。 1922年にかれは東インド政庁に逮捕されてオランダに流刑され、オランダで活動して いたが、1925年に東南アジアに戻って諸国を遍歴した。1927年にはコミンテルン の指示に対する不服従を行っている。[ 続く ]