「大郵便道路(42)」(2025年02月13日)

ダンデルスももちろん、バイテンゾルフ宮殿に住む総督たちのひとりになったのだが、週
一度のバタヴィア訪問をかれも行ったのだろうか?東インド参議会に一切の政策決定権は
自分が握ると宣言したのだから、会議を開く必要性など霧消していたのではあるまいか。
現在われわれが目にするボゴール宮殿はもともと二階建ての建物だった。1834年10
月11日の地震で大きく破壊されたために、デザインが変更されて今の広いファサードを
持つ一階建てになった。

バイテンゾルフは元々、パジャジャラン王国の首府だったパクアンの町であり、1433
年に開都したという説がある一方で、現在のボゴール市創設記念日が1482年6月3日
のシリワギ大王即位の日と定められていて、それに従えば半世紀の差が生じる。

しかしパジャジャラン王国がパクアンと呼んだこの町は5世紀にタルマヌガラ王国のプル
ナワルマン王が都を置いたという話もあって、ボゴール丘陵地帯は遠い古代から人間の居
住が行われていたことを推測させている。

パジャジャラン王国はバンテンをイスラム軍に奪われてから領地を蚕食され続け、155
1年から1567年までの間のいずれかの年に王都パクアンはイスラム軍の侵攻で陥落し
た。ところがイスラム軍もパクアンを廃墟にしただけで放棄し、パジャジャランの王宮は
トラの棲み処に変わっていたのである。

VOCは1687年にその廃墟を発見したものの、1744年にファン イムホフ総督が
その地を気に入って別荘を建てさせるまでその地域の開発は何も行われなかったようだ。
言うまでもなくそのエリアはバンテン王国領なのであり、バンテン王国を懐柔しないうち
に何かを行えば寝た子を起こす結果になるのも明白だったという背景がそこに絡んでいる
ように推測できる。

ファン イムホフがバンテンのシャリファ・ファティマ女王を握ったことと別荘を建てた
ことの間に時期的な整合性があるのではないだろうか。ファンイムホフはさらに、カンプ
ンバルと呼ばれていたその別荘地区一円、およびチサルア、ポンドッグデ、チアウィ、チ
オマス、チジュルッ、シンダンバラン、バルブル、ダルマガを合わせた9地区をVOCの
レヘント統治区に指定した。公式名称はRegentschap Kampung Baru Buitenzorgだ。

反ファティマ戦線を作ったキヤイタパの軍勢が別荘を陥落させにやってくるのに備えて別
荘の表には小型の要塞が築かれていたのを、われわれはヨハネス・ラッハのスケッチ画に
見ることができる。

ファン イムホフ総督は最初その別荘にバイテンゾルフという名前を与えたものの、行政
区画名称にその言葉を使ったのだから、それが地名として使われるようになるのも当然の
ことだったにちがいあるまい。ボゴールの町の発端は28.4Haの地所に建てられたフ
ァン イムホフの別荘であり、その周辺にオランダ人が活動するための街が作られていっ
たのだから、ボゴールという町はオランダ人が作った町と言えるのではないだろうか。

ダンデルスはバイテンゾルフレシデン統治区の各地区を農業地区と住宅地区に区分し、農
業地区でコーヒー栽培を行うよう命じた。収穫期ごとに8千から1万ピクルの収穫を東イ
ンド政庁に納めるよう義務付けられたそうだ。



バイテンゾルフという地名は1942年8月5日付の大日本軍司令官布告第29号で「ボ
イテンゾルフをボゴールに改め、8月8日から施行する」と定められた。ボゴールという
地名もジャカルタという名称と同様に日本軍が定めたものだ。

しかしボゴールという地名が何に由来しているのかがインドネシア人自身にもよく分かっ
ていないらしく、さまざまな説が出されているものの、決め手に欠けている印象が強い。
それ以前にその土地がボゴールと呼ばれたことは一度もないようで、いったいどうしてこ
んな結末になったのか、インドネシア人自身も面食らっているように見える。

スンダ語でbogorは砂糖椰子の樹の硬い部分を意味している。どうしてkawungという樹の
名称を使わないで、そんな樹木の一部分の言葉を地名にしたのかという疑問が生じて当然
だろう。スンダ地方に樹や草の名前が地名になっている土地はたくさんあるのだから。

ボゴール植物園の二輪車駐車場の近くに聖牛ナンディの石像が置かれており、その牛の別
名がbagharだったのだという説があるのだが、この石像はチパナスのコタバトゥで見つか
ったものが19世紀末にボゴール植物園に移されただけであり、地縁としては希薄な印象
がある。

bokor→bogorという濁音変化の結果だという説もあるのだが、ボコルは黄銅製の大きめの
容器で、古代人の祝宴でそこに果実を盛ったり、あるいは酒を飲んだりする器具だった。
スンダ人もジャワ人もムラユ人もボコルという単語を同じ意味で使っている。長い歳月の
結果その種の音変化が起きるのは納得しやすいが、いきなり音を変化させて地名にすると
いう行動は理解しづらい気がする。[ 続く ]