「大郵便道路(44)」(2025年02月17日)

峠越えの道が完成したあとでさえ馬車で峠を越えるのは困難であり、馬を水牛に替えてそ
こを乗り切らなければならなかったという話がある。ファン イムホフ総督がチパナス宮
殿に通ったころ、何に乗って行ったのだろうか?1815年にその峠を越えたイギリス人
将校はその体験を次のように書き遺した。
「天気の良い日には足元に口を開いて連なっている谷のずっと向こうに南のインド洋が見
え、振り返れば北のジャワ海が見えた。」

あのプンチャッ峠に本当にそんな遠望を可能にする地点があるのだろうか?路上にいるか
ぎり、それは不可能なのではないかという気がわたしにはするのだが、路上から周囲の小
丘に上がったとしても、現代のわれわれには不可能事かもしれない。

1853年に出版されたイギリス人ウォルター・キンロック著作の「ジャワとストレーツ
漫遊記」にもメガムンドゥン峠越えの体験がこのように記されている。
6マイルを27分間で走って最初のポストに着き、馬を取り換えた。そのあと、馬車が海
抜4千3百フィートのメガムンドゥン山頂に着くまで4時間かかった。チサルアに着いて
から道は急坂になり、馬車を引く馬を助けるために数頭の水牛の力を借りた。峠を越える
と道は下り坂が続き、1千フィートくらい下降してチパナスに到着した。

この道路のおかげでバタヴィア〜バイテンゾルフ間は5〜6時間、バイテンゾルフ〜メガ
ムンドゥンは4時間半に短縮された。ファン イムホフ総督のころはバタヴィアからチパ
ナスへ行くのに8日をかけていた。ダンデルスはそれを半日に短縮したと言えるのではな
いだろうか。


街道沿いに建っているチパナス大統領宮殿の北側の道を西のパンラゴ山に向けて進んでい
くとチボダス植物園に達する。わたしも何度もこの植物園を訪れた。桜の花見に訪れたこ
ともある。パンラゴの山腹に位置するチボダス植物園の方が、街中のボゴール植物園より
も空気が澄んでおり、そして雄大なパノラマを目にすることができる。

この84.99Haのチボダス植物園を開いたのはヨハネス・エリアス・テイスマンだ。1
852年4月11日にオープニングが行われた。標高3,019メートルのパンラゴ山の
中腹、高さ1,300〜1,425メートルにあるこの植物園は、今はパンラゴ山の登山
口のひとつにもなっている。

蘭が122種、サボテン95種、ウツボカズラ46種、シダ101種、苔144種、その
他膨大な庭園植物や薬用植物のコレクションを持っているこの植物園にはロドデンドロン
園もあり、インドネシア原生種や日本・中国のものなどが植えられている。それにもまし
てこの植物園には桜園があり、桜は毎年1〜2月と8〜9月に開花するので、その時期に
はお花見にどうぞという宣伝が出されることもある。

園内にはオランダ時代に建てられた建物が残されていて、今では園付属の宿泊所に使われ
ている。来園客は有料で宿泊でき、涼しい山中の宿泊を楽しむことができる。このゲスト
ハウスはふた棟あって、ひとつは5寝室、もうひとつは9寝室あり、ひと棟を借り切るこ
とも可能だそうだ。


グデ・パンラゴ山系の広大な山腹で商業用作物を生産させるアイデアが当然VOC幹部の
頭に浮かんだ。収穫物の輸送について、実地調査しなければならない。1710〜172
0年ごろにVOCが開始したスンダ地方でのコーヒーステルセルに関連して、グデ・パン
ラゴ山系の実地調査を東インド参議会員ラデルマッハーが行った。原住民に担がせたタン
ドゥに乗ってかれはグデ・パンラゴ山系を一周した。バイテンゾルフからチアウィを経て
チサルア〜メガムンドゥン〜チパナス〜チアンジュルに至り、そこから山系の南麓をスカ
ブミ経由でバイテンゾルフまで戻ったのだろう。ラデルマッハーの報告書にはこう書かれ
ていた。
われわれはあの山を一周してきたが、われわれが目にしたのは貧困と窮乏の姿だけだった。
あの山自身が常にそんな状態にあるようだ。だからわれわれが行ったあの旅程を他の人に
勧める気は些かもない。


しかしVOCはスカブミやチアンジュルでコーヒーステルセルを開始し、プリアガン地方
はVOCの有力なコーヒー生産地にのし上がっていった。18世紀末にはVOCにとって
プリアガン地方のほうがセイロン島をしのぐ重要さを持つようになっていた。

ラデルマッハーは悲観的に見たのだろうが、現実は山系南麓ばかりでなくプンチャッ街道
沿いにも民衆のコーヒー栽培が広がったようだ。VOCがせっかく行ったその努力には、
大郵便道路が作られることで輸送面での大きな改善がもたらされたはずだ。[ 続く ]