「ルフェールとペーパー時代(2)」(2025年02月21日)

村落部住民は往々にして貧しさの中で食っていくために、素朴な農業世界の中で苦闘して
いる。その一方で家内工業活動は通常、収穫を待つ間あるいは水田の水涸れ期などに副次
的に営まれる農業外活動に区分されてきた。そのような視点からリベラルキャピタリスト
たちはその農業外活動を経済的意義の低いものと見なし、家内工業生産者たちが必要とし
ているのは事業経営のような能力でなく職人的技能であると考えた。

プリブミには職人技能の教育を与えてやることが重要なのだというその解釈にもとづいて、
植民地民衆の家内工業に対する行政の指導と監督はOEN局(教育・宗教・工業局)が行
えば十分であるという結論を出したのである。

しかしOEN局でマジョリティを占めている倫理派官僚たちはきわめてその方針に批判的
であり、プリブミ住民の経済福祉にもっと強い関心を払うよう植民地政庁に求めた。プリ
ブミの産業はチャンスさえもたらされたなら、大規模産業に引けを取らない発展を示すこ
とができると倫理派官僚たちは確信していた。


20世紀初めにイデンブルフ植民地相は倫理派の著名人C.Th.ファン デフェンテール
を起用してジャワとマドゥラのプリブミ住民の経済生活状況調査を行わせた。その報告書
は1904年に「ジャワとマドゥラの原住民の経済状況の概観」というタイトルで出版さ
れた。ルフェールはこの調査に招かれて、プリブミの家内工業に焦点を当てて調査を行っ
たのである。

実のところ、ルフェールの報告書はあまり紋切型でない。たとえば、かれは織物・バティ
ック・木彫・竹や籐などの編み細工・金属や革の加工品・焼き物・石加工品・レンガなど
を主要工業というカテゴリー名称に区分して調査分析したというのに、主要工業というも
ののコンセプトにせよクリテリアにせよ、明瞭な定義や解説を与えていないし、問題分析
アプローチすら行っていない。にもかかわらず、その手法によって読者の意識に残る興味
深いことがらが出現したのも事実なのである。

それは何かと言うと、かれが行ったのはその当時のジャワ住民の農業外活動における基盤
になっていると目された家内工業の優良産品に光を投げかけることだったのだ。ルフェー
ルはそれらの産品をまな板に載せることによって、家内工業は経済的な価値を持っていな
いとするコロニアルキャピタリストの典型的なものの見方を打ち砕こうとした。

ルフェールは反対に、高い審美性とそれゆえに経済価値を持っていると考えられるバティ
ック布を例に取り挙げている。あたかも賞賛するがごとく、かれはバティック布をジャワ
の一個のスペシャルティであると表現した。続いて、もう長い間パリのファッションブテ
ィックでおなじみ品になっているチロゴッ産の竹編み帽子をもリマインドさせた。

別の情報ソースには、タングラン産シャポーは1887年以来、現代のコンテナで数百本
分がバタヴィアの港からヨーロッパ諸国に積み出されたと記されている。ヨーロッパばか
りか、竹編み帽子の市場は1920年代になってトルコ・オーストラリア・米国にまで拡
大した。[ 続く ]