「チャリウアン(2)」(2025年02月27日)

わたしがジャカルタで暮らしていた時代、職業を持っていない家庭の主婦たちの多くがチ
ャリウアンを行っていた。タナアバン市場でコディ売りの衣服を大量に買ってきて、その
一部を自分で携えてオフィス巡りをしている主婦もいれば、自分でチップスやアボンを作
り、それをオンライン販売している主婦もいた。デポッの大学キャンパスの近くに売店を
構えてアヤムゴレンの作り売りをしている主婦もいた。アヤムゴレン屋は本人が一日中そ
の店にいることができないから、アルバイト学生を雇って商売するという、まるで事業主
のようなことを本人はアルバイト気分で行っていた。

つまりご本人の気分の中で、自分が行っていることに職業という意識を抱いていない印象
がわたしにたっぷりと感じられたのだ。自分のステータスはあくまでも主婦であり、これ
は単に金を稼ぐためにしていることだ、という雰囲気なのである。

この現象は多分、職業という概念が持っている社会性の含意が希薄なケースにチャリウア
ンという言葉がより強くフィットしている印象をわたしが感じているということなのだろ
う。社会的なパースペクティブは行われるビジネスの規模との関りを持っているから、個
人的アルバイト行為として行われるビジネスは弱小規模のものであるのが普通であり、そ
んなレベルの経済活動をインドネシアの主婦たちが意欲的に行っている姿がわたしの目に
映ったということだろう。

ここでわたしが「個人的アルバイト行為」という表現をしているとはいえ、その行為の多
くは自分がビジネスの主体者になる形態をしていて、誰かに雇われて雇い主が指図する作
業を行うようなアルバイト行為とは内容が異なっている。だからそれを個人事業と言うこ
ともできそうだが、日常生活の片手間に行っているという印象がたいへん強いためにご本
人の様子が個人事業家というイメージに当てはまらないように感じられるのだ。そういう
個人事業を社会構成員が熱を入れて行っている社会は世界の国々にざらにあるものなのだ
ろうか?


インドネシアで一時期流行ったMLMに関わっていたのもほとんどが家庭の主婦だったよ
うだ。株式や国債あるいは黄金などの相場ものに手を出す主婦たちも見受けられた。イン
ドネシア社会の中に広がっているかの女たちのチャリウアン精神の発露を目の当たりにし
たわたしは、インドネシア文化の中の金銭観のポジティブさに圧倒される思いを抱いた。

チャリウアン活動で儲かれば、金を気楽に使える金回りの良い人間として社会生活の中で
世間から一目置かれるような生き方をすることになるのが普通だった。自分と自分の家族
のための贅沢はもとより、親戚友人との交際の中でパトロン的なポジションに自分を置く
ことも行われたはずだ。仲間のためあるいは社会善のために金を使う人間は社会から尊敬
を得るのがインドネシアで特徴的なソーシャルビヘイビアなのである。

もちろんチャリウアンのために行うビジネスに失敗することだって当然のように起こるが、
たいていかの女たちはあっけらかんとしてその失敗を乗り越え、資金がまた貯まればチャ
リウアン活動に舞い戻って行った。

自分の一家の生活を成り立たせているのは夫の稼ぎなのだろう。だから自分のビジネスが
転ぼうが崩れようが、そこに悲壮感は生じない。インドネシア女性が持っているそんな様
相は、やはりインドネシア文化の中にある独特な金銭観の所産ではないかという気がわた
しにはする。[ 続く ]