「大郵便道路(57)」(2025年03月06日)

インドネシアという国は元来が単一民族単一種族でない集合体なのである。その人類学的
文化的に異なる人間集団をひとつにまとめるためにスカルノをはじめとする複数の建国の
父たちがインドネシア民族という政治的な概念を作り上げ、その上部概念の中に異人種異
文化異宗教の諸種族を包含させて政治的な民族国家を作ったのである。インドネシア民族
という人類学的な民族は存在しないのだ。

その実績がスカルノに民族主権のユニバーサル性を確信させた可能性は小さくない。スカ
ルノがAA会議の音頭を取ったのも、反植民地主義の先頭を切ってベトナムが8月15日
に、インドネシアが8月17日に独立宣言を行った事実が世界の諸国に信頼感を与えるに
足るものであったことを推測させる。

北の諸国が植民地にした民族であっても、自力で異民族支配を覆して独立できるのだとい
う実例を示したことは植民地支配下の諸民族に希望を与えた。異民族の支配下にあえいで
いた南の諸国が独立の希望を抱けば、世界の秩序は乱れる。欧米諸国の国家指導者や政治
家がスカルノを匪賊のように嫌ったのは当然の反応だった。かれらが築いた世界秩序の足
元をスカルノが揺らしはじめたのだから。

スカルノは完全独立を果たして間もないインドネシア共和国が第三世界のリーダーのひと
りとして新しい世界秩序の建設に乗り出すことを強く意識した。北のブロックに対抗して
自分と共闘してくれるAA会議参加諸国のひとびとにインドネシアの伝統文化を知っても
らうことに努め、インドネシアの料理や食べ物を勧めた。ソト・サテ・ガドガドなどが外
国人関係者に供され、コーヒータイムにはクレポン・プキス・ルンプル・パステル・クエ
ラピスそしてバンドゥン名産のクリピッオンチョムも振舞われた。


プラムディヤ・アナンタ・トウルはこのAA会議について、こう書いている。AA会議の
あと、アジアアフリカ諸国は独立を求める動きを始めた。ベトナムとインドネシアに続こ
うという意欲がそのふたつの前例によって突き動かされた。その前例がなければ、独立の
意志がそれほどまでに強まり得たかどうか。ところが、第二次大戦が終わった直後に、世
界は次の対立を迎えた。東西冷戦、共産主義対資本主義、世界の秩序を定める政治システ
ムとイデオロギーの天下分け目の決戦だ。イデオロギーがそこにからんだとき、国と国、
地域と地域の境界線は消滅する。イデオロギーは個人の頭脳の中に生きるものだからだ。
東西冷戦の中で世界は第一世界と第二世界に分裂した。しかしその隙間にあるものが何で
あるのかがスカルノには見えていた。

植民地がそんなもののために宗主国に付き従う必然性はない。独立国家になったあとでそ
れを自主的に選択すればよいことだ。スカルノは東西冷戦の中に第三世界を作り上げた。
第三世界は力を合わせてアジアアフリカに民族主権国家を作ることが急務なのであり、世
界に災いをもたらすものでしかない東西冷戦に関わる必要はない。植民地の民衆にとって
も、宗主国の民衆にとっても、同じような災いをもたらすものなのだから。

スカルノは日本軍政の中でインドネシアをまとめる仕事を行った。ヌサンタラの諸種族に
インドネシアという政治的な国家観を持たせる仕事がそれだ。オランダ人はそんなことを
考えもしなかったし、そんな政治教育をプリブミに与えることもしなかった。しかし日本
軍にはそれが必要だった。日本軍が持っているその弱点をスカルノは利用し尽くした。日
本軍が自分でそれを行おうとしてもできるはずがない。スカルノは対日協力者になること
で、インドネシアという政治的な国家と国民を作り上げたのである。

スカルノの行ったその仕事がヌサンタラのひとりひとりのプリブミに西洋ヘゲモニーに対
する自尊心と敵愾心を育て、流血のない独立宣言を実現させ、その後の独立宣言を維持す
る長い戦争を完遂させるように導いた。[ 続く ]