「大郵便道路(58)」(2025年03月07日) バンドゥン鉄道駅の東を南北に走るチカプンドゥン川のさらに東側を川に並行して走って いる道路がブラガ通りだ。およそ1キロのこの道路は南端でアジアアフリカ通りにつなが る。AA会議会場になったグドゥンムルデカはアジアアフリカ通りとブラガ通りの角地に 建っている。 オランダ時代にはブラガ通りが北バンドゥンに住むヨーロッパ人にとっての商業センター になり、かれらは欧米風のライフスタイルをバンドゥンで維持するために必要な輸入物品 をそこで購入した。ショッピングのセンターが大衆文化と娯楽のセンターになるのはいつ の時代にも変わりようのない人類の生活原理だろう。ひとびとは最新流行のファッション を身にまとってセンターに遊びに来た。世間を観察し、同時に自分を世間に見せることが 買い物や飲食の傍らで行われたのだ。 毎日夕方になると最新ファッションに身を包んだ若者たちがBragaderen(ブラガ族)を演 じて通りに満ち溢れた。通りの両脇にはさまざまな商店がオープンしてヨーロッパスタイ ルの暮らしに必要なさまざまな物品を販売した。最新流行のファッション衣料、料理飲食 物、高級車などを欲しいひとびとがそこに集まってきた。 パリをはじめとするヨーロッパ直輸入のファッション商品を販売するブティックも庇を並 べたから、最新モードで身を飾るひとびとが集まる街という意味でバンドゥンにパレイス ファンヤファの綽名が奉られたという解釈をするひともある。 1920年ごろから映画館ブームがバンドゥンを襲い、現在のブラガ通りのほぼ中央あた りに当時著名な建築家ウォルフ・シュウマカーがデザインしたMajestic映画館が1925 年にオープンした。この建物は独立後もインドネシアの映画館チェーンが使っていたが、 2000年代に入ってからアジアアフリカカルチャーセンターに変身した。 2006年ごろ、その隣に廃墟になっている建物があった。しかし半世紀以上昔に使われ ていたその建物の壁に書かれたAug. Hangelsteens Md Tailleurという文字ははっきり残 っていた。その廃墟はかつてのファッションブティックAu Bon Marcheであり、1931 年にAマッキンガがオープンしたその店はパリの最新ファッション女性服を扱う店として バンドゥン在住女性たちの人気を集めていた。 ビジネス競争は栄枯不滅だ。通りを挟んだ向かいにはやはりファッション衣料品を扱う大 型店Onderling Belangが1923年から営業していた。この店はブティックでなく、種々 のファッション商品を扱う店だった。オンデルリンベランというのはアムステルダムに本 拠を置く小売り販売会社で、まずオランダ東インドのスラバヤに支店を開き、バンドゥン は東インド2号店になった。スラバヤの店はK ファン ドゥーデンヴェール、バンドゥン 店はK コックがオーナーだった。 ブラガ通りの著名ファッションショップのひとつにKeller Mode-Magazijnがある。テイラ ーとしてバンドゥン随一の名を誇ったこの店はオランダ人GJケラー夫妻が開いたものだ。 ケラー夫妻はテイラービジネスの世界で名を挙げていたものの、バンドゥンには1923 年に店を開いた。 男性服のテイラーとして有名だったのはアウフスト・サフェルクルだ。かれはバタヴィア のガンビルで1891年からビジネスを開始し、1912年にバンドゥンのブラガに移っ た。本人の身体のサイズに合わせて布を裁断していく方式をかれが最初に始めたと言われ ている。東インド政庁総督閣下もかれの常連顧客になった。 サフェルクルの男性服仕立て業で最高の技術を持っている仕立て師と絶賛されたのがAニ ピウスだった。ニピウスは客本人の身体のサイズにっぴっちり合った衣服を数時間で作り 上げる才能を持っていた。その時代の仕立て師の間では稀な才能だったらしい。[ 続く ]