「貸し家」(2025年03月07日)

ライター: インドネシア語シソーラス編者、エコ・エンダルモコ
ソース: 2017年8月19日付けコンパス紙 "Dikontrakan atau Di kontrakkan" 

われわれはdikontakanやdi kontrakkanという語形にけっこう頻繁にお目にかかっている
のではないだろうか。それらの語形は一枚の紙や段ボールの上に書かれて家の表に貼り出
されている姿でわれわれの目に留まっていると思われる。貸し家の主が意図している内容
がdisewakanであることを十分に理解しているたいていの通行人も、その語形が間違って
おり、インドネシア語の法則に合致していないことをすぐに判定する。di kontrakkanは
文法上の誤りであり、dikontrakanはセマンティクス上の誤りだ。

正しい表記はdikontrakkanと書かれなければならない。その構造は語根のkontrakに接頭
辞の/di-/と接尾辞の/-kan/が付けられたものであり、接尾辞が/-kan/であるために/k/は
必ずダブルで表記される。語尾が/k/になっている別の単語に/-kan/が付けられたものと
比較してみればよい。たとえばmenaikkanやmendesakkanだ。もし/k/がひとつならどうな
るのか。語根がkontrakでなくkontraと分解されることになる。disewakanという意味を伝
えたいにもかかわらずditentangkanあるいはdilawankanと解釈されたらまるで見当違いに
なってしまう。このケースはただの語形間違いどころか、意味の間違いを併発している。

ところが家屋の表でそんな貼り紙を見た通行人が即座にその異なった意味に解釈するかと
いうと、そんなこともない。ほとんどの通行人がその意味と文法の間違った語形を目にし
ながら、それを書いた人間の真意であるdisewakanという理解を意識の中に持つのである。
そしてかれらはそれが間違ったことである、あるいは問題であるということを針の先ほど
も感じない。言語が持っているまったく不可思議で奇妙なアスペクトがそれなのだ。


di kontrakkanという語形はまた異なるケースになる。形式上の間違いは/di/が切り離さ
れている点にあり、それが繋げられてはじめて正しい語形dikontrakkanになる。なぜくっ
つけなければならないのか?それは/di/が本当は接頭辞/di-/だからだ。前置詞の/di/で
はないのである。インドネシア語文法では、接頭辞は語根に繋げて書かれることが定めら
れている。memakan, berkumis, pesuruh, perbesar, terangkat, kekasih...

その一方で、前置詞は必ず次の語と切り離される決まりになっている。di kamar, dari 
kemarin, untuk kamu, hingga sekarang, hampir meninggal, demi Tuhan, atas nama...
要するに、diには前置詞と接頭辞があって、文法的な扱いがまるで異なっているというこ
となのだ。


dikontrakanという表記がわれわれの理解を自動的にdi-kontra-kanという構造に導き、
kontrakでなくてkontraが語根であると解釈させるとわたしは上で述べた。われわれの頭
脳がそういう働きをすることは少しも不思議なことでない。なぜなら人間は言語コミュニ
ケーション能力がついてから、言語パターンが少しずつ脳の中に浸透して行ってパターン
形成が行われるからだ。そのパターンに従ってわれわれはdikontrakanの語根がkontrakで
なくてkontraであると判断するのである。

われわれの興味をはるかに強く引く問題は、脳内に形成された言語パターンに従わない傾
向がどうして出現するのかということだ。明らかに間違いと分かっていることをいったい
どうやって正しいと思い、それを受け入れることができるのだろうか?