「ブタウィの結婚(1)」(2025年03月10日) ブタウィ文化では、出生・結婚・死去がひとりの人間にとっての最重要な通過儀礼になっ ている。これはきっと、どこの文化でも似たようなものではあるまいか。ただしそれは伝 統的な人間社会の価値観から生じた共通性あるいは類似性のためにそうなっているのであ って、人類が自由という価値観を重視するようになって以来、結婚というもののウエイト に変化が起こった。 出生と死去は一般的に言って、生物学的な要素のきわめて強い、個人的なできごとでしか ないのに比べて、結婚というのは性行為という生物学面の要素と同時に、社会生活という 社会的あるいは公共的な要素が組み合わさった、独特なものごとという面を持っていると 言えるだろう。 太古の時代から営まれてきた結婚という仕組みから人類の社会生活を眺めると、個人とい うのは巨大なアリの巣の中の一匹の蟻のように、社会を成り立たせ、そしてその社会を個 人の一生という時間を超えて持続させるための次世代再生産を行って消えていく、生物学 的な存在のように見えてくる。 所詮は生物の一種である人類なのだから、わずか数百年ほど前から人類が最高の価値を置 くようになった自由という観念が人類の生物学的な属性を乗り越えるだけの力を持ちえる のかどうか、これは興味深い命題になるだろう。 生物学的に仕組まれた種の保存に関わる諸原理が自由という観念によって損なわれるとき、 生物としての人類が衰退に向かうことも考えられる。天変地異や宇宙人の襲来のような外 的要因だけが人類に負の道を歩ませる可能性を持っていると考えてはなるまい。自ら崇め るものに向かって破滅の道を歩み出す生物がいるかもしれないのだ。 伝統的なブタウィ社会では、男児が結婚適齢期になると父親が息子に尋ねる。 「結婚したいか?」 息子が否定すればその話題はそこで終わるが、肯定した場合には次の質問が投げかけられ る。「相手は誰がいい?」 そこで息子が欲する相手の名前や住んでいる場所を言い出すなら、父親はそれを妻や自分 の姉妹などの女衆につなぎ、後事を委ねて引き下がる。そのときにNyerep-nyerepinある いはNgedelenginと呼ばれる活動が女衆によって開始されるのである。 ニュルッニュルピンとか~グドゥル~ギンと呼ばれる活動は、要するに正確な情報を収集す ることを意味している。つまりその家の息子が妻に欲しいと言う娘についての詳しい正確 な情報だ。 一番良いのはその娘を直接知っている人間から正直な話を聞きだすことである。言うまで もなくその娘の人柄や素行ばかりか、その娘に婚約者がいるかどうかといった最重要ポイ ント、そしてブタウィの社会通念であるイスラム信仰に篤いかどうかも必ず調査の対象に される。 まるで私立探偵社が行うようなことを、ブタウィ人は昔から一家一族を挙げて行っていた わけで、こんな社会に私立探偵という職業はなかなか成立しなかったのではあるまいか。 一族の女たちの間で、知り合いの中にそういう人間がいないかどうかが尋ねられ、まず遠 回しの情報収集が開始される。そして一族の女たちの人間関係の中でその娘の一家と親密 な知り合いや友人が探し出され、本命情報が入手される。 その情報に従って女衆がOKの判断を下すと、次はAjar kenalというステップに移行する。 その時点でたいてい、mak comblangと呼ばれる仲人役の女性を誰に依頼するかということ が決まるのが普通だ。写真が世の中に行き渡るようになってからは、マッ チョンブラン が娘の写真を手に入れて男の側の一族女性に見せるのが通常の作法になっていた。 チョンブランというのは作媒人という福建語が語源だと言われている。ということは、ブ タウィで行われている仲人システムは福建文化に由来しているということなのかもしれな い。makはibuを意味するムラユ語であり、この役割が常に相応の年齢に達している女性だ けのものであることを示していると解釈できる。[ 続く ]