「ブタウィの結婚(2)」(2025年03月11日)

アジャルクナルというのは、男の側の女性たちが女の側の一家を自己紹介のために訪問す
る儀礼であり、さまざまな料理を持参して相手の一家とよもやま話をし、結婚の申し込み
など一言も言わないで帰る。この訪問日時はマッ チョンブランがアレンジするのだから、
料理を山ほど持参してやってくる女衆の目的を相手の一家も十分に承知している。

要するにこれは将来親戚になるという目論見を踏まえた上で行われるファミリー同士の顔
合わせ第一回ということなのである。意地悪い見方をするなら、互いの子供たちが夫婦に
なるということよりも、自分たちが親戚付合いする相手を品定めするという要素の方がず
っと重いウエイトを占めていると言えるかもしれない。

古い時代の結婚というのは、嫁を一家一族が家族構成員の中に迎えるというのが社会通念
になっていた。嫁というのはそういう存在なのであり、息子にとってだけの嫁ではないの
である。だから息子がどれほど執着していようが、一家一族が家族の一人として受け入れ
られないという結論を下せば、嫁入りは起こらなくなった。これは家というものが大家族
で構成されていた時代の論理を基盤に置いている慣習だから、核家族が一般化すれば家族
構成員である個人の自由度は飛躍的に向上する。

相互の一家一族が互いに行き来するようになった結果、意気投合した友人ができる可能性
だってある。このような慣習行事であっても、人間が営んでいる社会生活の中に起きる一
コマなのだから、人間と人間の出会いのチャンスのひとつになるのは当然の話だ。しかし
反対にそりが合わないという可能性だってある。そんな要素が最終的に結婚申し込みの成
否に影を落とすことだってあり得るのだ。

そうやって男の側の一家一族が相手の一家一族をよく知るようになった上で、結婚申し込
みをするかしないかという最終結論が下される。ゴーの判断が出されたなら、次のMinta
のステップに移る。男の側の一族が女の側の両親に娘を嫁に下さいという申し込みを行う
のだ。イスラムでは娘の身柄を誰に授けるかということの決定権が男親にあるとされてい
るものの、ファナティックムスリムであるブタウィ人もやはりアジア文化の民なのだろう。


ミンタは公式な結婚申し込みと言えるだろう。その申し込みのために男の側の一族は盛装
して女の側の家を訪問し、申し込みを行ってそのまま帰宅する。女の側は謹んで申し込み
の言葉を聞くだけであり、嫌とも応とも言わない。男の側の一族はその返事をもらうため
に、日を改めてふたたび女の側の一家を訪問する。女の側はその申し込みを受けるか拒む
かの決断を下さなければならない。

拒む場合には相応の理由が必要になって来るだろう。これは社会生活における公的なやり
取りなのだから。受ける場合には、女の側はuang lamar(結婚申込金)、cingklemの重さと
形状、要求するmas kawin(結納品)などの詳細を男の側に知らせる。Ngelamarとこのや
り取りを呼ぶひともいる。

男の側はその求められた結納などの品々と金を用意し、さまざまな料理や菓子類などの食
べ物を添えて女の側を訪問し、相手に納める。この贈り物を持って行くことをSerah uang
と言う。必ず現金が届けられるからスラウアンと言うのだろう。この金は結婚の申込金な
のだから女の側が結婚の準備のために使うのが主旨であり、結婚の諸プロセスの一部がそ
の金でまかなわれるなどという期待を男の側はしてはならないのである。

ブタウィ人の結婚にシンボルとして不可欠なロティブアヤも、スラハンの中に加えられる
ことが多い。その場合、ロティブアヤがさまざまな色の油紙で飾り立てられることもよく
行われた。そういう美的センスの高いひとが男の側が行うスラハンに関われば、紙幣でモ
スクの形を作ったり、衣服や布類を鳥や花の形にして新婦の家に持って行くようなことも
しばしば行われた。

スラハンに食べ物が添えられるのは不可欠で、その中に新婦が子供のころから好物にして
いたものを混ぜるのは、言ってみれば当然の思いやりだ。と言ってもたいしたものでなく
て、たいていジェンコル・プテ・イカントゥリ・イカンアシンなどのおかず類であり、ブ
タウィ人はそんなものを食べて、そんなものを好物にしていたということが言える。
[ 続く ]