「ブタウィの結婚(3)」(2025年03月12日) そこまでつつがなく終われば、晴れて婚姻の儀式に進む。後見人と証人そしてアッラーを 前にして新郎新婦が誓いの言葉を述べるAkad nikahの儀式がそれだ。スラウアンが終わっ てから3カ月後にアカッニカを行うのがブタウィでは一般的だった。 この儀式では男の側が新郎と親族、そしてルバナ楽隊・パントゥン名人・シケ朗誦者たち と一緒に女の側の家にやってくる。女の側の家ではアカッニカの準備を整えて男の側がや ってくるのを待つ。この催しそのものが隣近所つまりは世間に結婚を披露する催事になっ ているのである。 華やかに着飾った集団が賑やかにルバナ音楽を鳴らしながらその家にやってくるのだ。そ して地方によっては家の表でPalang pintuを演じて大勢の見物人を楽しませる。タングラ ン地方では、やってきた男の側の集団が爆竹を鳴らして景気を付ける。チナベンテンの根 拠地タングランならではの余興だろう。 そして女の側のパントゥン名人が男の側にパントゥンを挑む。だから新郎のグループは必 ずパントゥン名人を連れてくるのである。かれら名人たちが即興でパントゥンを唱え、集 まっている群集の中で感銘を受けた者が拍手喝采する。それが終わると今度はシケの朗誦 に移る。シケとはアルクルアンの章句を節をつけて朗誦することだ。名人の朗誦は実に天 上の歌声を聞いているようで、たとえアラブ語が解らなくても誰もが感動を覚えるはずだ。 世間を楽しませる演じものが終わると、いよいよ新郎新婦と後見人がアカッニカの座に着 くのである。この一連のプロセスをDuduk nikahと呼ぶこともある。ドゥドゥッニカは金 曜日の夕方、つまり金曜日の集合礼拝のあとで行われることが多い。そのときにたいてい 食事が供される。ナシクブリと羊肉の料理が振舞われるのが普通だ。 アカッニカの日には新婦の家でPesta kawinが催される。ブタウィ人はBekerjeとそれを呼 ぶことが多い。ブクルジェはインドネシア語のブクルジャ(働く)のブタウィ式音変化だ と思われるが、祝宴で働くのはホスト側の人間であって客ではない。 この結婚の祝宴では、新婦の家は大量に飲食物や菓子などを用意し、結婚祝いに訪れたひ とたちが祝儀を渡して食事をし、用意された歌や踊りのエンタメを楽しんでから帰宅する。 この祝宴は二日一晩続けられる。 面白いことに、この祝宴にはまず女性たちが昼から夕方にかけてやってくる。夫や彼氏と カップルで来るのではないのだ。夫や彼氏は夜にやってくるのである。やって来た客は紅 包に入れた現金をその家の主人に渡す。女性たちは新婦の母親に、男性たちは新婦の父親 にアンパウを渡す。父親はもらったアンパウをポケットに突っ込むが、母親のほうはたい てい腰ひもに袋をぶらさげて、そこにアンパウを入れている。 新婦はこの二日間の祝宴の間に7回、花嫁衣裳を着替える。ダルダネラと呼ばれている衣 装はほとんど西洋風のウエディングドレス、プトリチナは中華風の花嫁衣裳、スリブサト ゥマラムはアラブ風、スリンピはジャワ風といった趣で、新婦もきっとそのファッション ショーを楽しんでいるにちがいあるまい。新郎は西洋風のスーツを着るのが普通らしいが、 アラブ風のジュバを着て、サングラスをかけて登場する新郎もいる。 新郎新婦は並んでプラミナンと呼ばれる椅子に座り、祝いを述べる客がやってくると立ち 上がって握手し、言葉を交わすのがインドネシアでの結婚披露パーティの普通の作法にな っているものの、ブタウィの結婚祝宴は花嫁がひとりで座っていることの方が多い。とい うのも、新郎はアカッニカが終わると一旦自宅に帰るからだ。そしてパーティにやってき てからも、表に出て客を迎えるために座をはずす。孤独な花嫁というのもつらいだろうか ら、たいてい遊び仲間の女性が近くに一緒にいて相手をしている。 新婦の家での祝宴が終わると、続いて新郎の家での祝宴が行われる。最低でも三日間続け られるので、niga ariinと呼ばれている。郊外部のブタウィ人は結婚の祝宴を水曜日の夜 行うのがお好みだが、都市部のブタウィ人は土日を好む。 ブタウィ人にも結婚の季節があって、ズルカイダ月、いわゆるハジ月がそのシーズンにな っていた。[ 続く ]