「ブタウィの結婚(8)」(2025年03月19日)

ブタウィ人郷土文化研究者は一様に、ワニはブタウィ文化の中で神聖な動物とされている
と語る。ワニは生を見守る番人なのだそうだ。人間の生は水を不可欠なものにしているた
めに、昔の人間は水源が汚れることをおそれた。昔のバタヴィアでは、川や湿地にはたい
ていワニが棲んでいた。ブタウィ人が水源から水を得ようとするとき、ひとびとはワニが
動き出さないようにひっそりと水を汲んだことだろう。そんな構図が上の論理に発展した
のかもしれない。

ブタウィ郷土文化保護団体活動家のひとりは、ロティブアヤの慣習はブタウィがイスラム
化する前からあったものだろうと考えている。ブタウィ人は太古の昔からチリウン川が作
ったデルタ地帯の川沿いに住んでいた。川にはワニがたくさんいる。そのたくさんいるワ
ニたちの中に、本物のワニに混じって超自然のワニがいるとひとびとは考えた。そのため
にブタウィ人は水流を歩いて渡るとき、決まり文句の呪文を昔から唱えていた。
「Numpang-numpang anak orang mau lewat.」

1970年代ごろでも、怪異や超自然の何者かがいると思われるような薄気味悪い場所を
通るとき、ブタウィ人の中にその文句を唱えるひとが少なからずいたのをわたしは目の当
たりにしている。これは大自然を畏れる気持ちを持たされた人間が示す、当たり前の反応
だとその活動家は述べている。


川の守護神である超自然のワニが棲んでいる場所をブタウィ人は知っている。プサングラ
ハン川・チサダネ川・クルクッ川・ブカシ川・チリウン川がそれだ。

プサングラハン川に住む超自然のワニはbuaya buntungあるいはbuaya putihと呼ばれ、名
前が与えられてSi Melatiと名付けられた。尻尾がちょん切れて短くなっており、黒い身
体に白い斑点が付いている姿で川に現れるのだそうだ。

チプタッのひとびとはbuaya putih, buaya buntung, buaya merahを知っている。チサダ
ネ川ではbuaya putihがチェンテンに姿を変えると言われている。チェンテンというのは
親丁と書かれる福建語で、主人の家に親代々仕え、主人の一家の個々の者に就いてその走
り使いから身を守るための用心棒までする人間を意味していた。当然、暴力が全身から匂
い立っているような人間になるのが普通であり、時代が進むに連れて言葉の意味が主従関
係の面を含まない用語に変化した。


ジャカルタイスラム国立大学人類学教授は、特定のコミュニティが抱く信仰はエコロジー
に強く影響される、と解説する。古代から人間は大自然の強大な力を怖れ、畏敬してきた。
ブタウィの自然環境は川と湿地を主体にしており、川に棲む強い動物を畏敬の対象に選ぶ
のは自然なことだった。そしてその畏敬の対象が自分たちを襲ったり災いをもたらしたり
しないように願って、供物を捧げた。ブタウィ人は1990年代半ばごろまで、川に供物
を捧げるスドゥカの儀式を行っていた。

毎日川岸にコーヒーの砂糖入りと砂糖なし、紅茶の砂糖入りと砂糖なし、赤粥と白粥、白
飯と黄飯、焼いた鶏肉、七種の花、タバコ、葉巻・鶏卵、お香を置く。決まった日には水
牛の頭を川淵に沈めた。赤い布と鞭と七種の花を添えた水牛の頭を神輿に戴いて、レノン
楽隊を従えて練り歩き、川岸に着くと祈りを唱えてから水に沈めた。今はもう、そんなこ
とをする者はだれもいない。川は埋められ、汚れてドブになってしまったのだから。


あるブタウィ文化研究者は、ロティブアヤは最初、川へのスドゥカの供物のひとつだった
のではないかと考えている。昔は、婚礼の飾り物として贈られたものであってすら、ロテ
ィブアヤを人間が食べることは禁じられていた。棚の上に置かれたり、扉の表に釘で打ち
付けられたりしたまま、それが崩れて形が判らなくなるくらいまで放置されなければなら
なかった。あるいは、ロティブアヤの一部を川に流すひともいた。昔のロティブアヤはそ
んな使われ方をしていたために、たいへん硬く作られ、また味もつけられなかった。
[ 続く ]