「大郵便道路(66)」(2025年03月19日)

< カランサンブン Karangsambung >
スムダンを出た大郵便道路はまた東方に向かって山道を進む。その間およそ25キロでス
ムダン県トモ郡の郡役場があるトモの町に到着する。チマヌッ川沿いのこのトモ郡の中に
ダンデルス時代のカランサンブンがあった。そこからチルボンの町までは40キロほどし
か離れていない。
イ_ア語ウィキペディアのJalan Raya Posの項目には、政庁が自ら行った道路建設プロジ
ェクトの終点がカランサンブンになっていた。そこまで大郵便道路がやってきたのを視察
したチルボンのレシデンが道路をぜひチルボンの町まで延長してほしいとダンデルスに懇
請し、ダンデルスは鷹揚に頷いたという話が語られている。

ダンデルスがトモ地方に道路を開いたのは、コーヒーや果実あるいは米や野菜の栽培が盛
んだったことが大きい理由になっていたようだ。土地は他と比べようもないほど肥沃で、
住民は少なく、商業用農産物の穀倉と見られていた。
カランサンブンで生産される産品は陸路カラワンに送られてバタヴィアに達するものもあ
り、あるいはチマヌッ川経由で海路バタヴィアに達するものもあり、またチルボンに向か
うものもあった。そんな高い生産性を誇っていたカランサンブンが今やトモ郡という寒村
に変わってしまったのは、チルボンに通商ルートの鍵を握られたためだ。

カランサンブンからトゥガルまで郵便馬車の駅が12ヵ所に設けられた。バンドゥンから
チルボンへ馬車で行くとき、チマヌッ川をいかだで渡らなければならない場所がカランサ
ンブンにあったそうだ。それを越えてパリマナンに着くと、そこからチルボンとの境界に
なっているロサリ川にまた駅がある。チルボンからトゥガルへ行く道程にもいかだで川越
をする場所があり、ブルブスとトゥガルの境界になっているチパマリ川がそのウイークポ
イントだった。

1852年に大郵便道路の一部を馬車で走ったイギリス人チャールズ・ウォルター・キン
ロックが著作「ジャワとストレーツ漫遊記」に次のような話を書いている。
スムダンで一泊したキンロックは翌日チルボンに向けて馬車の旅を続けた。スムダンの景
観の美しさと町の快適さはかれに後悔の思いを抱かせた。数日ここに滞在するスケジュー
ルを組むべきだったと。ホテルは清潔で居心地が良かったそうだ。

スムダンからチルボンへの道程はバンドゥンからスムダンへの旅で見た美しい景観とまる
で異なる景色が展開された。川を渡るまでの道程の前半は急峻な山々が目に映ったものの、
川を渡ってからは低地の風景が続いた。延々と続くサトウキビ農園を眺めるばかり。何百
人もの華人が農園でさまざまな仕事を勤勉に行っている。ただいま現在の先にある時間に
何の関心も払わない怠惰なジャワ人と好対照な姿だ。
「チルボンは海辺の陰気な町だ。見すぼらしいホテルに泊まったわれわれは、翌朝喜んで
その町を後にした。トゥガルに向かってまた旅を続けるのだ。」
[ 続く ]