「大郵便道路(67)」(2025年03月20日) < チルボン Cirebon > チルボンはその歴史の最初からインドや中国の商船がやってくる港町だった。北のタナ岬 と東南のバンカドラス岬の間に作られた、幅およそ35キロのチルボン湾のくぼみの一番 奥にこの町は位置している。そして町の南西にある、標高3千メートルを超えるチルマイ 火山がこの町を抱いているのだ。チルマイ火山は死火山であるというのに、時おり噴煙を 吐くことがある。 チルボンという地名の由来はci+rebonであるということがよく知られている。ルボンとい うのは日本語でアキアミ秋醤蝦と呼ばれている種類の小型エビを指しており、インドネシ アでも正式な呼び名はudang rebonになっている。ルボンがスンダ語でエビの総称という ことではないのだ。 ルボン蝦に因んだ昔話がある。1445年ごろラジャガルのひとびとがチルボン湾のあた りにやってきて、地元民の集落を訪れて首長の家に案内された。首長のパゲラン チャク ラブアナは客人の一行を歓待し、宴を催した。その食事に地元で作られているトラシが供 され、客人一行はそのおいしさに舌を巻いた。地元で採れるルボンがトラシの主素材だっ たのだ。一行は帰郷してルボンのトラシを大いに吹聴したから、ラジャガルの統治者がそ れを耳にし、ルボンのトラシを買いに行かせた。統治者も大いにその味覚を気に入り、領 民の間での人気食品になって、チルボンと呼ばれたそのトラシが飛ぶように売れたそうだ。 追々とそのトラシの名前が産地の名前になり、地名として定着した。 しかし現在チルボンという名で呼ばれているその土地は元々carubanだったという話もあ る。carubというのはジャワ語で「混じり合った」という意味を表しており、チャルバン と呼ばれていた地名がチルボンに音変化したというのがこちらの説だ。 キ グドゥンタパという名の人物に率いられたひとびとがチルボンの土地に集落を作った。 そこが大いに栄える村になったので、他地方から言語や文化のさまざまに異なるひとびと が移住してきた。大きい消費市場ができれば、招かなくても商人がやってくる。折しもヒ ンドゥ時代からイスラム時代への移行期に当たり、宗教のいろいろ異なるひとびとがその 土地に集まって大きい町に発展し、港町ができあがった。 異人種・異文化・異宗教の人間が混じり合って親しみ合いながら住んでいる町ということ で、チャルバンの名前が掲げられたというのがこの説だ。 現代インドネシアでは、チャルバンという名の町が東ジャワ州内陸部のマディウン県にあ る。わたしがジャワ島横断ドライブで中央ルートを採るときはいつも、ソロからスラゲン を抜けて東ジャワに入り、~ガウィを通過したあと~ガウィ〜チャルバン街道をひた走った。 その街道はチャルバンの街中でマディウン〜~ガンジュッ街道につながる。その連結ポイ ントから東方に向かって山越えをしながらガンジュッの町に向かうのである。山中のサラ ダン鉄道駅の脇を通るたびに、ひなびた風情にいくばくかの郷愁を感じたものだ。 あれっ、チルボンは西ジャワなのに、どうしてスンダ語でなくてジャワ語が出てきたのだ ろうか?それは、西ジャワ地方と中部ジャワ地方の境界線を越えてジャワ人がチルボン〜 インドラマユ地域にまで進出してきたからだ。その一帯には昔からスンダ人とジャワ人が 入り混じって住んでいたので、スンダとジャワの折衷文化が生まれた。[ 続く ]