「ブタウィの結婚(10)」(2025年03月21日)

ファナティックムスリムであるブタウィ人がアッラーに愛された民として尊崇するアラブ
人のブタウィ在住プラナカンも、婚礼プロセスは似たようなものになっている。しかし1
970年代ごろまで、昔のアラブ人はガンダランと呼ばれるたいへんな行事を行う習慣を
持っていた。ブタウィ人はそれをngarak pengantenとブタウィ語で呼んだ。ブタウィでそ
んなことを行うのはアラブ人だけだったとブタウィ人が書いているから、実に特異なもの
だったにちがいあるまい。

アラブ人プラナカンも、アカッニカを済ませて夫婦になった妻の家でハネムーン生活を開
始するのは1〜2日後になる。アカッニカが金曜日に行われたら、新郎が自分の育った家
を出て妻の家に入るのは土曜日あるいは日曜日の夕方だ。

その新郎が自分の家を出て妻の家に移動するとき、かれの友人や仲間たちが20〜30台
の車を連ねて新婦の家に新郎を送り届けるのである。それが~ガラップ~ガンテンだ。新郎
が移動する日の夕方4時ごろ、友人・仲間たちは車に乗って新郎の家に集まる。

1940年代ごろはまだ車を持っている家が少なく、かれらはモーレンフリートオースト
やモーレンフリートヴェストにある自動車販売店OtevaやHilverdinkで車を借りた。日本
軍政時代が終わると、今のハヤムルッ通りにあったOlimoがかれらのお得意さんになった。

オリモはイギリス製モリストラベラーを貸し出した。小型乗合バスのオプレッに使われた
車だ。ヨーロッパ車の輸入販売をしていたオリモ自動車店はインドネシアが独立したあと
も、1970年代を過ぎるころまで頑張っていたようだが、スハルトレジームによる日本
車の大攻勢によってその店舗は姿を消した。しかしオリモの名前はバス停の名称として今
も残っている。


数十台のオープンカーが列をなして走る花婿行列はまるでどこかの国の皇族の結婚式もど
きの印象を街行く市民に与え、路傍から市民が一張羅を着込んだ花婿に手を振ったりする
から、花婿もいい気持ちになる。最初、パレードは新婦の家を目指して出発するものの、
街中を走っているうちにルートから外れてまるで無関係の方角に向かい始める。いい気に
なっている花婿は自分を世間に見せびらかすために友人たちがしていることと考えて、お
任せ気分でふんぞり返っている。

ところが友人たちの中にいたずら好きな悪友がいたりすると、度が過ぎるおふざけが起こ
ったりする。たとえば、行列がタナアバンの墓地に到着し、昔の名士の墓に詣でて結婚の
報告をしなきゃいけないと説得され、花婿が降りて離れた場所の墓に詣でているとき、行
列は花婿を置き去りにして一斉に去って行く。

花婿が当惑し、夜の闇が降りてくる中でとうとう泣き出すと、隠れて見ていた仲間のひと
りが合図して車を回してくるという趣向だ。


オテルデザンドに数十台の車が入って来たから、ホテル側が慌てて客を迎えようと従業員
が総出で表に出てくると、仲間に車から引きずり出された花婿がひとりだけホテルに入っ
て行って何かを買ってきたという悪ふざけもあった。

ジャティプタンブランのコベルキリスト教墓地に連れて行かれた新郎が車から押し出され
て墓地に入って行くと、たまたまそのとき埋葬の準備が行われていた。棺桶の到着を待っ
ていた墓掘り人夫たちがたくさんの自動車の到着を見て、「さあ、やってきたぞ」と立ち
上がったところ、花婿衣装に花を胸に差している若いのがやってきたから、さんざんに毒
づかれたという話もある。[ 続く ]