「進化するagar(その一)」(2025年03月25日)

ライター: シンタックスオブザーバー、ムリヨ・スニョト
ソース: 2009年2月20日付けコンパス紙 "Agar" 

接続詞機能を持つ助詞のひとつであるagarに一体何が起こったのか?問題の本旨に入る前
に、ふたつのパラグラフをご覧に入れよう。
Perempuan Yahudi yang mengandung, bersama sang suami, menyelesaikan soal 
matematika. Tentu tak perlu yang terlampau rumit atau terlalu mudah dipecahkan. 
Itu dilakukan agar si orok berlatih mengasah otak.

Agar memperoleh keturunan lantip seencer benak Yahudi, ibu berbadan dua Melayu 
bisa menjajal adat kaum Tzipi Livni itu. Bukankah tak berdosa mengikuti kebiasaan 
baik satu kaum, yang di sini oleh kebanyakan orang disebut (dengan sempit dada) 
Zionis?

上のふたつのパラグラフに使われているagarは通常の接続助詞の役割を果たしている。ハ
リムルティ・クリダラクサナも著書「インドネシア語の品詞」の中に掲載した例文の中で、
agarのその単一の機能を示している。「インドネシア語標準文法(TBBBI)」の編者もagar
を接続助詞としているだけだ。

しかし昨今の新聞を見てごらんなさい。agarは語義を持たない接続助詞という単一の役割
から脱け出そうとしているではないか。まるで副詞のポジションを担おうとしているよう
だ。2009年1月30日付けコンパス紙に書かれたスリランカのコンフリクトに関する
記事の見出しは250.000 Warga Agar Dibebaskanとなっていた。似たようなパターンの文
をさまざまな新聞や雑誌から見つけ出すのは難しくない。
Presiden Agar Memperhatikan Nasib Petani
Israel Agar Divonis Sebagai Penjahat Perang
Gaji Guru Agar Dinaikkan
などの使われ方を見るなら、それらからは修飾語の趣が強く感じられる。


agarをperluやharusの同義語のように使わせている編集者はagarを副詞として生まれ変わ
らせる産婆の役を務めているのだろう。その点は賞賛できるにしても、TBBBIが勧めてい
るシンタクシス規則を無視しているとして批判されるかもしれない。

TBBBIはKBBIほど知名度が高くないから、記者や編集者がそれを読んだことがない可能性
は大いにある。その結果、印刷メディアが公にする文の中に文法的紛糾が出現するのであ
る。接続助詞であるagarの用法における統語法の混乱は数あるよく似た混乱のひとつにす
ぎない。

接続助詞agarが副詞の分野に向かって進化しているありさまは多分、同じ接続助詞仲間で
あるsebabの足跡をたどっているのかもしれない。しかし接続詞から動詞や名詞への品詞
の変化において、sebabは接辞を身にまとわねばならなかった。接辞が付かない場合、
sebabは元々の品詞から一歩も外に出られない。接辞なしにsebabを動詞として使用するな
ら、論理が逆立ちするだけだ。例えば:
Hujan tiga hari tiga malam di Bogor sebab banjir di Jakarta.
この文が正しい論理を持つためには、sebabに接頭辞pe-が付けられなければならない。


接続助詞agarの進化にわれわれはどんな姿勢を執るべきなのか?原則に忠実な言語使用者
として、われわれはこの接続助詞を単なる機能語として使い続けなければならないのだろ
うか?それとも言語世界によくある革命的な変化としてこの現象を受け入れるべきなのか?

もしも後者を選択するのであれば、こんな語法をも受け入れなければならなくなるのでは
あるまいか。
Meskipun agar memperhatikan nasib petani, presiden tetap menaikkan harga pupuk.