「大郵便道路(71)」(2025年03月26日)

< ロサリ Losari >
チルボンの町を出た大郵便道路は海岸沿いに南東に向かい、30キロほど進んでロサリに
達する。チヤンクロッ川とその支流ボソッ川の河口にできたこの土地には北に向かって肥
沃な泥土が堆積し、陸地が海にせり出してロサリ岬とロサリ湾を作り出した。かつては海
沿いの町だったロサリは今や海岸から9キロも内陸部に位置している。

ロサリはチルボン県の東端の郡として西ジャワ州に属しているものの、実に面白いことに、
州境を超えた東側のブルブス県にもロサリ郡があり、それぞれの郡役場が置かれているロ
サリの町は背中合わせにくっついていて、あたかもひとつの町が二つの州と二つの県をま
たいでできあがったように見える。

ロサリという地名はインドネシアのあちこちにある。最も有名なのは多分、マカッサルの
ロサリ海岸だろう。プルバリンガにもロサリという村があり、西ジャワと中部ジャワのこ
のロサリ郡には郡役場が置かれているロサリ町がそれぞれにある。


かつては、スンダ文化とジャワ文化の境界線がロサリであり、ロサリから西がスンダ語を
話すひとびと、東がジャワ語を話すひとびとの社会になっていると考えられていた。しか
しその見解は実態を正確に見ていないという反論を掲げるひとも少なくない。現実に、チ
ルボン〜インドラマユ地方にはジャワ語を日常生活言語にしているひとびとの社会も存在
しているのだから。

イ_ア語ウィキペディアによれば、ブルブス県ロサリ郡では三種類の言語が使われている
そうだ。チルボン語、トゥガルジャワ語、ブルブススンダ語がそれで、ロサリ郡北部でチ
ルボン語とトゥガルジャワ語、南部でブルブススンダ語が話されている。こんな町に生ま
れたなら、住民は子供までもが多重言語者になって当然だろう。

今は遠い昔になってしまったが、ロサリ郡は1970年代から80年代にかけての時期に、
ウシエビやバンデン魚の養殖で全国に名前の知られた土地だった。バンデン魚の収穫は4
〜5カ月ごとに行われるが、ウシエビは毎日収穫することができる。単に生産量が大きい
というだけでなく、品質も群を抜いていた。

ブルブス県ロサリ郡ではリンバガン村、チルボン県ロサリ郡ではタワンサリ村がその産業
の中心地になっていた。広大な養殖池が海辺の土地に作られて、住民がその地主になり、
養殖池で育つエビや魚がかれらの生活を豊かに繁栄させていた。

養殖池を広く作ることができたのは、川が運んでくる泥土のおかげだった。川が陸地を毎
日毎日作ってくれるのだ。陸地に池を掘り、泥土を積んで堰にすれば養殖池ができあがる。
しかし結局は、川の作った陸地を海の波が崩したのである。1990年代に入ってから海
蝕が進行しはじめ、1992年を過ぎてからそれが激しくなった。


総面積3千Haを超える養殖池を持つリンバガン村では百人を超える村人が個々に自分の池
を経営して豊かな暮らしを楽しんでいたというのに、海蝕のために広大な養殖池がわずか
3%を残して海に?み込まれてしまったのだ。まったく同じようなことが近隣の他村でも
起こったどころか、チルボン県のタワンサリ村でも類似のことが起こったのである。

リンバガン村の養殖事業主のひとりは、沿岸部に20Haの養殖池を持って15年近く豊か
な暮らしをエンジョイしていたにもかかわらず、海蝕のためにすべて失われたと沈痛な口
調でコンパス紙記者に語った。

その事象は地元行政にも大打撃を与えた。事業からあがる税金は中央政府に入るが、土地
建物税は地元行政の収入になる。養殖池に使われている土地の評価額は他の用途の土地よ
りも高い。リンバガン村の歳入は1.4億ルピアが煙のように消失してしまった。[ 続く ]