「大郵便道路(72)」(2025年03月27日) < ブルブス Brebes > ロサリから海岸平野部を30キロ東に進むとブルブス県の首府であるブルブスの町に至る。 この町の名称であるBrebesという綴りを初めて目にした外国人の中に、ジャワ人の発音を 正しく推測できる者が果たしてどれくらいいるだろうか?これこそが異文化体験の極致で はないかと、この地名が出てくるたびにわたしは思うのである。 パマリ川の岸辺にできたこの町は東に向かって発展し、市街は東隣のトゥガル市とほとん どつながっているように感じられる。町中を貫いて北上したパマリ川は、ブルブスの町を 離れるとカマル川に名前が変わる。 昔、パマリ川の西はスンダの王権、東はジャワの王権が行き届く限界線と言われた。タブ ーを意味するpamaliという川の名がそれを示していると説くひともある。このパマリ川が ブルブスの地を砂糖の産地にした。広大なサトウキビ農園と、砂糖を作る工場が三つ、ブ ルブス県にある。 西クタングガンにある製糖工場は植民地時代に私有地だったエリアに建てられたものだ。 イギリス統治時代に大きい貢献を示したブルブスのブパティにラフルズ総督が土地を与え た。その後、オランダ東インド政庁が土地の一部を買い戻したが、残りは地主が細切れに してたくさんの個人に売却したので、行政は手の施しようがなかった。しかしインドネシ ア共和国が成立したあと、全国の土地は国家のものにされ、あちこちに作られていた私有 地は跡形もなく消え去った。インドネシアの土地の権利に関する法規の複雑さと厳しさは そんな歴史が影響をもたらしているのではあるまいか。 わたしがジャカルタからバリを目指してチカンペッ自動車道経由で国道1号線を東進する と、チルボンまで何キロという道路標識がいつも目に入って来て、数字の大きさにうんざ りさせられたものだ。ところがわたしはチルボンの市内に入ったことがない。なぜなら、 チルボンのバイパスとしてパリマナンからカンチまで1998年にパリカンチ自動車専用 道が開通したため、国道1号線をショートカットできるようになっていたからだ。 終点のカンチからまた国道1号線に戻ってロサリを通過し、ブルブスに向かうのだが、ジ ャワの平野部の風情はあまり感興を催すものでなかった。右は水田、左は海辺(とは言っ ても海は遠く、ほとんどが視界の外だ)を走っていて、突然水田の中に鉄道線路が見えた ときはその意外さに驚いた。ただし、わたしは往路復路で総数10回以上そこを通ってい るものの、レールの上を走る列車とすれ違ったり伴走したことが一度もない。 大郵便道路と並行して作られている鉄路を走る列車を目にすることはパスルアン〜プロボ リンゴ区間がはるかに多かった。そちらの方は毎回そこを通るたびに列車を見たような印 象が記憶の中にある。いやまあ、毎回というのはちょっと大げさだろう。 ブロモ火山に向かう道が枝分かれしているト~ガス村には、鉄道線路が道路の南側から北 側に移動するために大郵便道路と交差する地点があり、列車が通過するためにそこの踏切 で停止したことも数回起こった。 西からブルブスの町に入る手前に、土産物を売る屋台が道路脇に数百メートル並んでいる 場所がある。売り物のほとんどはブルブス名産品Telur asinだ。昼間通るとあまり活況を 感じさせないのだが、そこを夜通るとその一帯が煌々たる光に浮き出されているために光 溢れる繁華な一画のように印象付けられてしまう。車を停めて買い物しているドライバー も少なからず見受けられるから、きっとブルブスの町のドライブスルー土産物センターに なっているのだろう。[ 続く ]