「進化か破壊か?」(2025年03月27日)

ライター: 語義格闘家、サムスディン・ブルリアン
ソース: 2018年3月3日付けコンパス紙 "Agar Jaga Jarak Aman" 

文学者は言葉と文化を豊かにし拡張する。哲学者は表現と意味を深化させ鮮明にする。言
語学者はシステムと法則をパターン化し、明確化させる。イメージとロジック、伝統とシ
ステム化。生きている言語の進化していく中でそれらすべてが大きい役割を演じている。
考察力のある賢い言語使用者がより高い創造性を持ってより活発に言葉を使えば、その言
語は一層効果的で魅力的になる。しかし数百万もの学術的で賢明な、広く深い知恵に満ち
た文も、役人が大衆に下す一行の文を前にしては何の力も持たない。

もう何年にもわたって、何千個と言えないにしても何百個もの電子掲示板が「Agar jaga 
jarak aman」というメッセージを自動車専用道路で示しているのだ。それが表している意
味は容易かつ正確に受け取ることができる。しかしそれを読む通行者は苛立ちと腹立たし
さをかみしめながら「これはインドネシア語を破壊している」と言うだろう。2009年
2月20日と2011年9月16日のこのコラムに提案のない批評が既に掲載されている。


想像してみてほしい。毎秒、一時間3千6百秒、一日24時間、一年365日、一瞬たり
とも休みなく、途切れることもなく、何百万もの運転者と乗車している人が、空腹であれ
満腹であれ、眠くてもシャキッとしていても、渋滞していようがスムースに流れていよう
が、そのメッセージを朝昼夜繰り返し目にするのである。目から入って心に達し、更に骨
の髄まで浸透して霊魂の奥底に刻み込まれる。こんなに物凄い文芸作品は他にない。これ
ほど深遠な哲学理念は存在しない。これほど効果的な文法学習はどこを探してもない。

オッケー、オッケー。上に書いたのはハイパーボリだ。言葉の発展は単一のミームで決ま
るものではない。しかしこの一事に関しては、大衆に向けて一行のメッセージを書く権力
をたまたま与えられたひとりあるいは一握りの人間が限りない影響を大衆にもたらしてい
るのである。単なる一個の言語表現という狭い事象が、何百万という大衆に広大な影響を
与えているのだ。

そのメッセージには普通でないものがふたつある。ひとつは形式に関するもの。このメッ
セージは本当は文になっておらず、文の切れ端でしかない。agarは普通、接続詞として使
われる。たとえば:
Jagalah jarak aman agar selamat.あるいはAgar selamat, jagalah jarak aman.
この文は行為と目的を述べるふたつの要素で構成され、それがagarで繋がれている。そこ
から目的であるselamatを消去するとその切れ端文ができあがる。
もうひとつは内容に関するもの。agarの前に置かれる部分がagarの後ろにくっつけられた
ためにjaga jarak amanは行為であると同時に目的にもなっている。なんと驚異的なアク
ロバットだろうか。

そのメッセージでは、agarは/-lah/の機能を果たしているように見える。Jagalah jarak 
amanであれば勧誘・呼びかけ・指示・命令として明瞭で効果的な文になる。多分、謙虚さ
コンプレックスがここで働いたのだろう。agarの使い方をあれこれもみほぐして、不完全
でひっくり返った文にすれば、非直接的で露骨さの薄い、命令っぽくない勧誘の印象が発
生する。そうなれば、強制的でなく、またボス風でなくて丁寧な、礼儀をわきまえて相手
を尊重している謙虚な雰囲気が出現するのである。少なくとも、いつも厳格明瞭な命令文
を作るのに使われている/-lah/よりは丁寧ということになる。

そのようなagarの用法は善くて正しいインドネシア語に該当するのかどうか?それは言語
警察に取り扱わせればよい。しかし将来のいつの日か、喧嘩して取っ組み合いしている幼
い孫たちに向かってあなたの子供が「Agar jaga jarak aman!」と言いながら孫たちを引
き離す姿を目にすることになっても不思議の念を抱いてはならないのである。

交通に関するジャーゴンにjarak amanの法則がある。2秒の法則と呼ばれているものだ。
あなたが運転している車と先行車間の間隔は少なくとも2秒間に走る距離以上なければな
らない。もし2秒間に走る距離より短ければ、それは近すぎてtidak amanなのだ。もしあ
なたが敏捷でないドライバーであるなら、3秒の法則にするように。