「文学の中の鉄道(1)」(2025年04月02日)

ライター: 文学批評家、パムスッ・エネステ
ソース: 2003年3月23日付けコンパス紙 "Kereta Api dalam Sastra" 

Kereta Apikuと題するイブ スッの児童唱歌を知らないひとは少ないだろう。その歌はこ
んな歌詞だった。
Naik kereta api tut tut tut
Siapa hendak turut
Ke Bandung Surabaya
.......
幼いころからわれわれは、1934年に作られたこの歌に親しんできた。

しかしインドネシア文学の中に登場する鉄道はそんなものでない。インドネシア文学作品
の中で鉄道はとても影が薄いと言えるだろう。自分の作品の中に鉄道を登場させた作家は
ほんの一握りでしかなかったのだ。


短編形式のものでは、イドルスの1948年の短編集「Dari Ave Maria ke Jalan Lain 
ke Roma」の中の「Oh... Oh... Oh!」をはじめとして、シトル・シトゥモランが1963
年の短編集「Pangeran」の中の「国際鉄道」で、アスルル・サニが1972年の短編集
「Dari Suatu Masa, Dari Suatu Tempat」の中の「ヨグヤ〜ジャカルタ夜行列車」で鉄道
を描いた。もっと後の時代に世に出た短編作家ハムサッ・ランクティも2000年に発表
した短編集「Sampah Bulan Desember」の中の「電車の中で」に鉄道の描写を載せている。
小説形式のものであれば、アッディアッ K ミハルジャの1940年作品、232ページ
の小説「Atheis」の156-163ページと210-211ページに、プラムディヤ・アナンタ・トゥル
は1951年の小説「Bukan Pasar Malam」の10-21ページに、最新世代のアユ・ウタミは
2001年作品「Larung」の3-6ページに鉄道のシーンを使っている。

鉄道の姿が登場するNHディニの追想作品「Sebuah Lorong di Kotaku」(1978,1
986年)もそれらの諸作品に加えてよいだろう。

かれらインドネシア人諸作家が鉄道に関連する場所で起こったシーンを著作の中にどのよ
うに描いているのか、そしてまた作家たち自身が鉄道や鉄道に関連する場所で起こったシ
ーンをどのように見なしているのかというのは興味深いテーマだ。

< 裏口から >
鉄道車両に乗るとき、乗客はまず切符を買わなければならない。プラムディヤは「Bukan 
Pasar Malam」の18ページにこう書いている。「夜明け前から駅へ行って、切符の販売窓
口の前に列を作って並ぶ。」事情を知らないひとは、なぜそんなことをしなければならな
いのかと戸惑うことだろう。そのわけはこうだ。数人に切符を販売してから、窓口係員が
言う。「切符は売り切れだ。」残りの座席の切符はどこへ行ったのか?

イドルスはスカブミ駅の切符売り場の前の行列のありさまを「Oh... Oh... Oh!」の中で
こう描いた。

インドネシア人の窓口係員は自分の後ろにいる駅職員を指差した。そして怒り猛って大声
でこう言った。「おまえに何の関係がある?それはわしの仕事だぞ。今すぐ買いたければ
裏から買え。半ペラッ(50セント)追加して。」

「裏から買え」がその鍵になっている。つまり、今すぐ買いたい人間は誰でも裏口で買う
ことができるのだ。もちろん、公定料金より高い金額を払って。[ 続く ]