「文学の中の鉄道(2)」(2025年04月03日) < 発車 > 列車が駅から出発する様子はどんなものだったのか?NHディニは列車がスマランのタワ ン駅から発車するありさまを追想記「Sebuah Lorong di Kotaku」に描き出した。そのと きディニの一家はスマランからスラカルタを目指していた。 「制服を着た男がひとりプラットフォームの中央に立っている。その駅職員は色のついた 丸い棒を手にして、右に左にそれを振った。物売りたちが食べ物を乗客に売ろうとしてま だ車窓の近くにいる。かれらにはそれが最後のチャンスになる。 駅職員はホイッスルを長々と吹き鳴らし、丸い信号棒を左右に振りながら左右を見渡した。 そしてもう一度ホイッスルを吹き鳴らすと、機関車がそれに応えて長い音を響かせた。か すれていたが、力強い音だった。 それと同時に機関車の車輪の周りに煙が噴き出して、プラットフォームの端まで立ち込め た。機関車は数センチ動いてから、すぐに止まった。まるで引く物が重すぎるとでも言う ように。引かれる全車両も一緒に動いてすぐに止まった。車両を連結している鎖が車体と ぶつかりあって衝撃音が轟いた。それがもう一度行われて、乗客は二度のショックを味わ った。三回目にやっと列車が動き出した。われわれがタワン駅を離れたとき、太陽は明る く輝いていた。(36ページ)」 NHディニが描いた列車の出発光景はそんなものだった。 < 車掌 > 有効な法規によれば、鉄道乗客はひとりひとり、まず切符を買ってから車両に入らなけれ ばならない。しかし現実には、切符を持たないで車内に入ることをする者がいる。その動 機は人さまざまだ。イブ スッの唱歌の歌詞Bolehlah naik dengan percumaを実行しよう として車掌とのカクレンボを故意に行う者もいる。また「上で払う」方を好む者もいる。 つまり検札をしに回って来る車掌に車上で料金を支払うのだ。 イドルスは上記短編作品の中で、車掌が切符を持たない乗客とどのように和平を行うかに ついてこう描いた。 「列車はスカブミ駅を出発した。その華人は二等車に座り、ひとりのオランダインド(イ ンドとは欧亜混血者を指すオランダ語)の娘に甘く優しい笑いと微笑みを見せた。 三等車と四等車では乗客が泣いていた。押し合いへし合いのギュウギュウ詰めだったから だ。車掌が三等車から四等車に回ってきた。そして乗降口近くに立っている一群の乗客に 近寄った。「切符、切符。」 そのグループは全員が現金を取り出した。車掌が怒った声で言う。「切符がないというの に、何で車内に入ったのか?さっきの駅でどんな風にして入ったんだ?」 グループのひとりが車掌に言った。「さっきの駅の乗降口の検札員にわたしどもはひとり スピチス(10セント)渡したんです、トアン。」 車掌はもう何も言わずにひとりひとりの手から現金を取ってポケットに突っ込んだ。そし てゆっくりとこう言った。「今度乗るときは切符を買うんだよ。」(104ページ)」 そんな駅員や車掌への贈賄シーンはわれわれの祖国でいまだに目にすることができる。切 符を持たない乗客と車掌の間のくっつけ握手salam tempelは、ジャカルタ〜ブカシ、ジャ カルタ〜スルポン、ジャカルタ〜ムラッ、ジャカルタ〜ボゴ−ルなどの近距離電車やジー ゼル列車内で見ることができるし、ジャカルタ〜ヨグヤ、ジャカルタ〜スマラン、ジャカ ルタ〜スラバヤなどの長距離列車でも同じだ。鉄道を頻繁に利用する者にとって、そんな ものは公然の秘密になっているのだ。何らおかしくないシーンなのである。[ 続く ]