「大郵便道路(74)」(2025年04月02日) ブルブスはジャワ島最大のトゥルルアシン生産地だった。その事始めは1950年ごろに 華人プラナカン夫婦のイン・チャウセンとタン・ポランニオが作り始めたことでスタート したと語られている。 現在行われている一般的な製法は塩・砂・赤レンガの粉(あるいは台所の灰またはラドン 土)を混ぜて練り、それで卵を包んで寝かせる方式だ。トゥルルアシンを百個作るために 塩が2キロ使われる。卵が割れるのを防ぐために紙やわらで包む。標準の塩漬け日数は1 5日間だそうだ。 その事業が町の住民の間に広がっていき、今ではブルブスの町中から近郷の村々にまでト ゥルルアシン生産者がいて、そして販売者がいたるところに店や売り場を設けている。ブ ルブスの町に入る手前のジャワ島北岸街道の道路脇に列をなして並んでいる売店はブルブ スのシンボルになっている。それを含めて販売ポイントは2百カ所前後あり、月間1千2 百万個が販売されている。 ところがブルブスで販売されているトゥルルアシンの中に、トゥガル・プマラン・チラチ ャップ・インドラマユ・チルボン・ブリタル・モジョクルトから送られてくる680万個 もの商品が混じっているのだ。県畜産局は生産者の資金・人材そして飼育されているアヒ ルの生産性などの諸問題がその結果を招いていることを認めている。 ブルブス県ブラカンバ郡パキジャガン村はアヒル養殖センターのひとつ。村民のひとりロ イディンさん51歳は祖先から伝えられたこの家業を妻のブディアンティさん40歳およ び子供たちと力を合わせて営んでいる。 ロイディンは11歳になってから曾祖父の仕事を手伝いはじめて飼育の仕事を覚えた。代 々継承されている家業のリーダーは曾祖父から祖父に、そして父に代わり、今ではかれ自 身がリーダーを務めている。 かれは生後6〜18カ月の産卵期に入ったアヒル5百羽を檻で飼い、6カ月未満の幼鳥1 千1百羽を自然の中で放し飼いにしている。放し飼いにしている幼鳥の世話と見張りの仕 事に二人の人間を雇っているだけで、他の仕事はすべて家族で行っている。 檻と放し飼いのグループに分けるのは、アヒルが産んだ卵を確実に入手するためだ。しか しそのために檻のアヒルには餌を与えなければならない。放し飼いのアヒルには餌を用意 する必要がない。ロイディンの檻では毎日平均4百個の卵が生産されている。 その5百羽に与える餌は米ぬか70キロ、海産魚50キロ、水草半袋などを毎日練り混ぜ て作る。古くなった飯を乾燥させたものを餌に混ぜる養殖家もあるが、ロイディンはそこ までする必要はないと考えている。 得られる利益は一家5人の生活に困らないレベルであり、家を建て、オートバイを3台購 入し、三人の子供たちにそれぞれ238平米の土地を買い与えることができた。 長男は最初、ブルブス県のもうひとつの特産品である赤バワンの栽培と、ジャカルタでの ワルテッ経営を試みたがうまくいかなかった。結局、今は自分でアヒル養殖を行っている と父親のロイディンは物語った。 何百年も前からこの地方でアヒルの養殖が続けられてきた。伝統的なアヒルの養殖スタイ ルは、何百羽ものアヒルの群れを収穫の終わった水田に連れて行って放牧し、夕方また連 れて帰るというやり方だ。長い竹棒を持った少年が何百羽ものアヒルの群れをひとりで目 的地まで連れて行く様子はきっともうおなじみのことだろう。 その原理に従って、地元の水田収穫期が終わると、水田収穫期が別になっている遠隔の地 方まで、何百羽、ひとによっては1千羽超、ものアヒルが連れて行かれた。ブルブスから チカランやスムダンあるいはバンテンまで旅するアヒルの集団もあったのだ。現代はもち ろんトラックに積まれて旅をするが、トラックなどまだ存在しない時代には、アヒルを指 揮する人間ひとりとアヒルの集団が徒歩で長い旅をした。トラックが普通に道路を走るよ うになった後でも、ブルブスからインドラマユまで徒歩でアヒルと共に旅をした人もいる。 そんな旅では、長期間にわたって故郷を離れるのが普通であり、トラックでの移動が普通 になってからも旅先の土地に数カ月間滞在することがよく行われた。 旅するアヒルたちを指揮する飼育者が旅先で強盗や盗難の被害を受けることも頻繁に起こ った。だから飼育者たちはみんな格闘技の腕を磨いた。たいていの飼育者が故郷では達人 と見られていた。飼育者は常にアヒルと一緒に野宿するのだ。 その伝統は既に昔話になりつつあり、2010年ごろのブルブスでは、そんな旅するアヒ ルたちはアヒル総数の1割程度に減っていた。[ 続く ]