「文学の中の鉄道(3)」(2025年04月04日) < 車内 > インドネシアの鉄道車両の走行をインドネシア人作家たちはどのように見ていたのだろう か?プラムディヤはBukan Pasar Malamの中でスマランからブロラまでの旅をこんな風に 書いた。 「そしてわれわれの列車はジャワ海の海沿いを走り、ときどき自動車と競争した。われわ れはその痛快な光景を困惑の気持ちで眺めた。自動車が舞い上げる埃、馬糞・人糞・痰・ 唾の付いた埃がわれわれの肌にまとわりつく。(18ページ)」 アスルル・サニは鉄道独特の雰囲気を短編作品「ヨグヤ〜ジャカルタ夜行列車」の中に描 いた。 「列車は灰色の丘と森林を遠景に置いて、果てしない水田の中を走った。エルウィンはも う溶け始めた、窓に付いている露のしずくを通して風景を見ようと試みた。最初、かれは 窓ガラスを拭いたがうまくいかなかった。それで今度は、指で窓ガラスにいたずら書きを 始めた。(82ページ)」 アッディアッ K ミハルジャが小説Atheisに描いた、主人公のハサンとアンワルがワナラ ジャからバンドンに向かったときの情景の雰囲気と比較して見るといい。 「列車はナグレッの峠を這うようにして登っていく。まるでムカデが崖を登るように。機 関車の重い息遣い。太陽が大地を焼く。カーブでレールが光る。水田や池がガラスのよう に反射する。樹々は動かない。空気が黄色がかった草の上で震動する。震動するために、 わたしの目はまるで波立った不均一なガラスを通してものを見ているようだ。日射のせい であたかも面倒くさがっているかのように路上の電柱がゆっくりと過ぎ去る。(157ペ ージ)」 アユ・ウタミの視点はまた違っている。かの女は小説Larungの中でこう書いた。 「レールの継ぎ目が生む車輪音のリズムが緩慢になったためにわたしは目覚めた。わたし が小さいころから、そのリズムは同一だったような気がする。わたしの椅子の下の車輪が レールの継ぎ目を拾う際の衝撃は7拍の繰り返しで、4拍目に一番強いアクセントが付く。 車両が揺れてわたしの肩も左右に揺れ、机の上のグラスとアルミ皿の上の金属スプーンが 生む微振動、そして小便を我慢するときの疼痛と長時間口を閉じるときの口臭が永遠なる 旅行の友になっていた。(3ページ)」 < 下車 > 乗客が列車から降りると、普通は到着した乗客の切符を調べて回収する係員が駅の出口に いる。実際のところ、何のためにそんなことをするのかよくわからない。現実にその切符 は穴があけられていて、もう使うことはできないのだ。同じように、列車から降りた乗客 の切符を取ってゴミ箱に捨てる係員もいる。その仕事も何のためなのかよく分からない。 アスルル・サニはガンビル駅の情景を短編集「Dari Suatu Masa, Dari Suatu Tempat」の 中の作品「博物館」で示した。 「わたしは頭をクルクル回して周囲の状況を見ながら、たいして重くないトランクをつか んで駅の出口へ行った。鉄道局職員のひとりがそこにいて、乗客の切符をすべて集めてい る。その職員は駅から出る乗客から切符を受け取りながら、同僚との話に熱中していて切 符を渡す者の方を見もしない。それどころか、渡された物が切符なのかどうかすらまった く関心を払わなかった。(107ページ)」 係員が自分の業務にまったく無関心な様子がよくわかる。[ 続く ]