「文学の中の鉄道(終)」(2025年04月07日) < スリに注意 > インドネシアの鉄道で、列車から降りた乗客が注意しなければならないことは「気をつけ ろ」なのだ。油断していれば、持ち物がなくなったり、不良職員にゆすられたりする。作 詞家のタウフィッ・イスマイルはジャカルタのガンビル駅で1966年初めごろに不運な 体験をした。そのときタウフィッはプカロガンから乗った列車から降りたところだった。 かれは1993年の著作「Tirani dan Benteng」にこう書いた。 「夜間外出禁止令は朝6時に解除されるから、百人を超える乗客がその時間を待ってプラ ットフォームに寝転がっていた。6時ちょっと前に駅の表門が開かれ、待ちきれない乗客 がどっと外に出た。わたしはパルプティまで行ってくれるベチャを探して値段の交渉をし た。そのとき、わたしの手書き原稿を入れたランドセルとバティック布の包みを足元に置 いた。値段交渉が終わって足元の持ち物をベチャに置こうとしたわたしは驚愕に襲われた。 荷物がかき消えていた。だれかが盗んだのだ。(xxviiページ)」 運よく、アリフ・ブディマンが手書き原稿をタイプしたものを持っていた。そうでなけれ ば、「Tirani dan Benteng」の中に掲載されたタウフィッの詩作のいくつかは永遠に日の 目を見ることがなかっただろう。その著書のxxviiiページにタウフィッは「アリフのイン ドネシア文学に果たした大きな貢献がそれだ。」と書いている。 < 汽車に乗り遅れ > われわれはketinggalan keretaという表現を日常会話の中でよく使う。ラマダンKHはイ タリアのローマで1954年に本当の乗り遅れを体験した。かれは自分の著作「Mengapa dan Bagaimana Saya Mengarang」(1986年、パムスッ・エネステ編集)の中でそので きごとを描いた。 「ローマのテルミニ駅でわたしは車両から出た。イタリアのお土産を買う時間がまだある と思ったのだ。売店に飾られているすばらしい土産物にわたしは目を奪われた。絵葉書を 数枚買って後ろを振り返って見たとき、わたしはビックリ仰天した。列車ははるか遠くに あった。定まらない心でパニックに陥ったわたしを置いて、列車は最後尾だけをわたしに 見せていた。わたしの荷物はすべて、あの列車がアムステルダムまで運んで行く。その荷 物の中のトランクのひとつに今わたしが書きかけの原稿が収まっていることがわたしの心 を重くした。このトラブルの解決のための行動をわたしが執っている間中、その原稿のこ とが最大の気がかりになった。(125ページ)」 ラマダンはローマ駅の駅員にすぐ連絡を取ってミラノ駅で荷物を下ろしてもらうように依 頼し、かれもすぐにミラノに向かった。ラマダンがミラノに着いたとき、かれの荷物がか れを待っていた。 ラマダンのトランクの中にあった原稿はいったい何だったのか?他でもない、小説Royan Revolusiだったのである。ラマダンが汽車に乗り遅れたそのできごとが外国で起こったの が好運だった。もしもかれのトランクがミラノで降ろされていなければ、かれのその著作 が1968年に出版されることは起こらず、Royan Revolusiを読む機会はこの世から消え ていたはずだ。 もしもそのできごとがインドネシアで起こっていたなら、結末はそんなものにならなかっ ただろう。列車の中に置き去りにされたトランクが本来の持ち主の手に戻る可能性はきわ めて薄いにちがいあるまい。 上で紹介したように、数少ない作家が著作の中に描いた鉄道に関する話を見る限り、鉄道 が重要なセッティングにされている作品もあまりないようだ。鉄道を取り上げた作家たち もほとんどが鉄道を単なる交通機関のひとつとしてしか捉えていない。それどころか、鉄 道の名称を短編作品のタイトルに付けたシトル・シトゥモラン(国際鉄道)やアスルル・ サニ(ヨグヤ〜ジャカルタ夜行列車)でさえそうなのである。[ 完 ]