「大郵便道路(77)」(2025年04月07日)

わたしは自動車を運転して何度もトゥガルの町中を通過したが、そのとき奇妙に感じたこ
とがひとつある。西のブルブスから町の中心部まで入って来た国道1号線はスディルマン
通りの手前で直角に左折してガジャマダ通りに入る。ガジャマダ通りを走りながら道路の
右側にある大モスクやアルナルンを横目に見つつ北上し、1.7キロほどあるガジャマダ
通りの端まで進む。

端に達すると、そこはトゥガル港の南縁になっていて、立派な舗装道路はT字形で作られ
ているだけ。まるで三叉路の印象が強く、北へ入っていく道はたいへんお粗末な道路であ
り、そこが十字路であるようには見えなかった。

わたしはそこで右折してヨッスダルソ通りに入り東へ向かってトゥガルの町から去ってい
くのである。町中ではそういう通り名が付けられているものの、その順路が国道1号線に
なっているのだ。

中部ジャワを通る国道1号線は大郵便道路とオーバーラップしているはずだから、大郵便
道路はそんな形で作られたようにも思われるものの、町に入って来た道路を直角で北に向
け、もっと北側の場所でまた直角に東に方向転換させるというアイデアをダンデルス時代
の道路設計者が本当に抱いたのだろうか?

ガジャマダ通りの北端はトゥガル港の南縁に当たり、今ではブルブスの西からその地点に
つながるバイパスができている。しかしそのバイパスが大郵便道路だったという可能性は
考えにくい。なぜなら、トゥガルのアルナルンや市庁舎がガジャマダ通りの南東に位置し
ているために、大郵便道路はトゥガルの町中を通らざるを得ないのである。

もっと言うなら、ブルブスから国道1号線で入って来たとき、ガジャマダ通りで左折せず
にそのままスディルマン通りに直進しても、スディルマン通りは4百メートルほど東進し
てから南北方向の道路にぶつかり、東へ町を抜けていくことができないのだ。まあ、この
現象を奇妙と思うか思わないかは個人差のあることかもしれないのだが。


トゥガルの町にも食事ワルンはたくさんあるが、ジャボデタベッにあるようなワルテッで
はなく、どこの町にもある飯屋のスタイルをしている。そしてどの店でもteh pociが売ら
れている。ポチというのは素焼き粘土製の赤茶色の急須のことであり、そこに茶やコーヒ
ーを入れて熱湯をかけて煎じるための道具だ。たいてい、大皿の上にポチと湯飲みが置か
れたセットになって客のテーブルに運ばれてくる。

トゥガルではテポチが名物になっているため、トゥガルの町をnegeri pociと詩人たちは
形容した。トゥガルではひとびとが連れ立ってワルンに入り、世間話に花を咲かせるとき、
テポチがその友になった。ワルンでテポチを注文すると、ポチ一杯分の茶葉がパックされ
たものと氷砂糖が熱湯とともに客に供され、ポチの中で煎じられた甘くて濃い茶を客は湯
飲みでちびりちびりと飲みながら時間を過ごすのである。

トゥガルの看板のひとつになったポチはさらに、まじないの儀式に使われるようになった。
Mantu Pociと呼ばれる儀式は夫婦に子供が授かるように祈願するものだ。普通、いつまで
も子供ができない夫婦がそれを行う。

大型のポチ一対を着飾らせ、それを新婚夫婦に見立てて結婚式で行われる披露宴のプロセ
スを行うのである。友人知り合いのひとびとに招待状を送り、飲食物を用意して招待客の
来訪を待つ。招待客も普通の結婚披露宴のように、祝い金5万とか10万ルピア、あるい
は品物を新婚夫婦にプレゼントする。品物はたいていコーヒーや砂糖だそうだ。披露宴の
会場入り口でプレゼントを渡すと、リセプションがプレゼントの内容と客の名前をリスト
に書く。そして後でそれが会場内で読み上げられるのだそうだ。

新郎のポチはダロジ、新婦ポチはワスリという名前で、子供のできない夫婦がそのポチを
結婚させる親を演じる。それどころか、昔この催しは花嫁花婿の行列まで行われて、タン
ドゥに載せた子鳥かごくらいのポチ一対をひとびとが担いで練り歩いた。そういう祭りの
要素が入り込んでくる場合、中部ジャワ北岸部のさまざまな伝統芸能もプログラムに混ぜ
られて、地域をあげてのお祭りになった。

郷土史家によれば、マントゥポチは1930年代に農民層の間で始まったそうだ。しかも
マントゥだけでなくてSunat Pociまで行われるようになった。スナッとはイスラム教徒の
義務である割礼のことだ。男児は割礼のときに親が盛大なお祭りをしてくれる。男の子が
できない家は割礼の祭りが行えないので、ポチを身代わりに立てるのである。[ 続く ]