「ソロのバティッ(2)」(2025年04月09日) ジャワ島イスラム化の震源地となったドゥマッスルタン国の崩壊によってドゥマッに服属 していたPajangに王権が1568年に移されたものの、パジャンは1587年にマタラム に滅ぼされてマタラムスルタン国がジャワ島の絶対王権確立に動き出す。ソロのバティッ の歴史はパジャン時代に既に始まっていた。 ソロバティッの総本山と見られているLaweyan町の西隣がパジャン町であり、その両方が 現在スラカルタ市のラウェヤン郡の中に収まっている。ラウェヤン町のバティッの歴史は パジャン王国の都のお膝元で始まったようだ。 現代インドネシア人がなじんでいるソロバティッのモチーフは1755年のギヤンティ協 定締結後に出現した。マタラム王家で起こった王位継承の内紛に乗じてVOCが調停を行 い、強大だったスロカルト王国がソロを王都にするカスナナン王家とヨグヨカルトを都に するスルタン王家のふたつに分割された。 Yogyakartaのインドネシア語発音はヨグヤカルタだが、ジャワ語発音はヨグヨカルトと聞 こえる。ものごとの順序をベースに置いてこの言葉を見るなら、元々ジャワ人がヨグヨカ ルトと発音する言葉がジャワ文字でYogyakartaと書かれ、アルファベットに翻字されたも のをイ_ア人がイ_ア語発音法則に従ってヨグヤカルタと発音するようになったのである。 インドネシア共和国政府の地方行政におけるその地方の地名はヨグヤカルタが公式名称に なっている。グローバル世界で常識化したジョグジャカルタではない。 何をどう勘違いしたのか、外国人の中にYogyakartaという綴りをジョグジャカルタと発音 するように思っているひとがいるようだが、それは頓珍漢だ。現代インドネシアでジョグ ジャカルタという発音はJogjakartaという綴りに対応している。/yo/や/ya/をジョやジャ とスペイン語のように発音することをイ_ア人もジャワ人もしない。 ふたつの兄弟王国はどちらもバティッ布を生産した。カスナナンのパクブウォノ3世はソ ロのバティッを優位に導くために、王宮使用人らに新しいスロカルト様式のモチーフを作 るように命じた。昔からのマタラム伝統様式モチーフを使うヨグヨカルト産バティッとの 差別化をはかったのである。 王宮内ばかりか領民の間からもさまざまな新しいモチーフが出現した。あとからあとから 新考案モチーフが出てくるものだから、今度は交通整理が必要になったらしい。パクブウ ォノ3世は王宮内で着用する衣服に使われるモチーフを制限したので、王宮認定モチーフ という形で定着することになった。現在のソロのバティッが持っている特徴的なデザイン のモチーフはそのできごとに由来している。 王宮認定モチーフには次のような種類があったそうだ。それらは現代のソロバティッを象 徴するモチーフ群でもある。 batik sawat batik parang batik cemukiran yang ujungnya serupa paruh burung podang batik cemukiran dengan ujung mirip lung bangun tulak それらのモチーフが描かれた衣服は王家の一族および王宮の高官だけが着用を許され、王 宮に仕える低位の者や一般庶民が使うことは禁止された。 王宮で着用されるバティッ布はabdi dalemと呼ばれる王宮の使用人たちが競って生産した。 アブディダルムたちは王宮の外に住んでいるから、かれらが居所で行うバティッ生産に王 宮に仕えていない一般庶民も加わることができた。こうしてバティッ産業はスロカルト領 内一円に広がって行った。クラトナン、クスモディニンラタン、カウマン、クリウォン市 場などにバティッ生産センターが生まれ、生産者のコミュニティができた。[ 続く ]