「ソロのバティッ(4)」(2025年04月11日) 一家の生計費を女性の経済活動が支えているケースはインドネシアで決して珍しいもので ない。一般庶民層や農民層の中にそんなケースをしばしば目にすることができる。インド ネシア人研究者ばかりか、1960年代にヒルドレッド・ギアツとロバート・ジェイが行 った調査研究にはじまって1980年代のスザンナ・エイプリル・ブレンナーに至るまで のインドネシア女性の経済的役割に関するたくさんの論文がそれを物語っている。それら の論説は一様に、インドネシア女性は他のアジア諸国の女性に比較して公共空間における 自由をより多く持っており、経済活動を盛んに行っていることを指摘している。インドや パキスタンなどの南アジア地域と比較するなら、その差はもっと大きいものになる。 ソロ女性をユニークなものにしているのは、社会の価値観が経済活動一般に対して高い評 価を与えていないためにかの女たちの経済活動とその成果の家計への貢献がそのままかの 女たちの社会的ポジションを高める結果をもたらさない点にある。ブレンナーがソロのラ ウェヤンにあるバティッコミュニティ等で行った調査によれば、1980年代末ごろまで スピリチャルな活動のほうがチャリウアン活動よりも社会的に高い評価を得ていたことが 明らかにされている。 女性が家政と子育ての義務を持たされており、また自己抑制の能力が低いことから、スピ リチャル性を高めるための研鑽は女性よりも男性に高い能力が備わっているというのが社 会一般の常識になっていた。その一方で、チャリウアンと経済面での家庭経営に女性が信 任されていたのは、女性は忍耐力が強いために持たされた金を無意味なことに浪費するこ とが少ないというのがその理由だった。ソロ女性の金稼ぎとそれで得た金のマネージメン トの巧みさは諸方面が認めている。 バティッダナルハディはサントサ・ドゥラと妻のダナルシ・サントサが夫婦で創設したも のだ。ダナルシ・サントサはソロ女性が生計の資を稼ぐ際の敏捷さや機敏さについてこう 書いている。 クレウェル市場では今でもそうで、働くのは女であり男はたいていゆったりしている。商 売できびきびと立ち働くのは女であり、男は女をパサルに送って行くだけ。男がバティッ を作るときも、男は使用人に指図するだけであり、昼にはもうする仕事がない。働くのは 女なのだ。 しかし家族の領域の外にある社会的にフォーマルな場でかの女たちは決定権を振るおうと しない。行政との取引や銀行借り入れなどの場面になると対等な実行者の立場に立とうと しなくなる。 ブレンナーの調査にも、ラウェヤンの女性たちは行政と関わる場でひとりの商人として立 とうとする姿勢を示さないことが触れられている。アクティブなビジネス実行者であり、 あるいは現役のバティッ生産者であるにもかかわらず、そのようなオフィシャルの場に出 て行こうとしないのだ。男に金銭を持たせると世俗的な個人の趣味に使ってしまうから、 金銭のマネージメント能力が低い男に家計を任せることはできないとソロ女性は考えてい るようだという結論をブレンナーは引き出している。[ 続く ]