「大郵便道路(81)」(2025年04月11日)

日本製婦人用自転車が大量に輸入されるようになると、中古品再生業者が新品に作り替え
た。分解と組立、再塗装、自転車ベンケルなどのビジネスが活況を呈するようになり、日
本製ジェンキ自転車の販売店が増えた。

プカロガン市内で売られている日本製中古自転車は中国製の輸入品やインドネシア国産品
よりも価格が高かったというのに、売れ行きは廉価商品をはるかにしのいだ。2010年
ごろの市価は、中国産が75万ルピア、国産品100万ルピアにたいして、再手入れと再
塗装された日本製は最低でも95万ルピア、標準的なもので100万を超え、上級仕様品
は200万ルピアに近いレベルだった。

ひとびとは性能を評価し、そして古くなっても激しく劣化しない点を有利な特徴と見た。
古くなってもまたそれなりの価格で売れるのだ。市価の数字だけを見て決めることをかれ
らはしなかったのである。


2005年までジャカルタで建築請負い業をしていたファイジンさんは、故郷のプカロガ
ンで自転車再生の仕事が活発化していることを知り、帰郷して仕事替えをした。かれは週
一回、大型自転車販売業者から輸入されたままの自転車を25台買う。1台が60万から
100万ルピア。それを分解して車輪を洗い、フレームは錆を取り、チェーンは潤滑油を
塗る。壊れた部品は修理するか、それができなければ他の自転車から移し替える。そして
プカロガンの消費者に好まれる色に再塗装するのである。ご丁寧にも、付いていたブラン
ドをそっくりそのままフレームにステンシル印刷する。バティッ生産センターのプカロガ
ンの町で印刷技術はお手の物だ。再生された魅力的な中古自転車をかれは自宅で販売して
いる。1台90万〜150万ルピアだ。

かれの弟がワルネットを持っているので、宣伝には怠りない。ヨグヤカルタやバンドゥン
にも販売されたし、ジャワ島外にも運ばれた。

絶対不可欠な買い物かごは、それが付いていなければ売れないとまで言われているという
のに、日本から届く中古品から買い物かごが取り外されているものが増加した。輸入業者
が言うには、コンテナ内のスペースを食うから、1台でも多く積むために取り外している
という説明だった。再生業者たちはスラバヤで代替品を手に入れることができた。


プカロガンのジェンキ自転車の草分けのひとりプラディさんは、1年間のギャランティカ
ードをつけている。その方が売りやすいのだ。故障なんかまずめったに起こらないよ、と
かれは笑う。

かれは1台の自転車を示して言う。これは1995年に隣人に44万ルピアで販売したも
のだ。使わなくなったそうだから、66万ルピアで買い戻した。これをまた再生すると1
20万ルピアで売れるよ。部品は全部オリジナルのまま。タイヤは一個だけ交換したが、
もうひとつのタイヤはインドネシアへ送られてきたときのままだ。


2010年にプカロガンには30軒の再生販売業者がいた。輸出者と直接取引している輸
入業者が2軒ある。1994年ごろに日本製自転車の人気が高まり、2000年代初期に
ピークに達した。輸入業者のひとりは、ピークの時期に年間6千5百台を輸入したと語っ
ている。プラディも月1千台を入手していたそうだ。プカロガンに入った数を通算で数え
れば2百万台を超えるだろうとプラディは言う。

ところが2000年代後半になって、タンジュンプリオッに陸揚げされるコンテナの通関
が通らなくなった。プリオッ港の輸入業者が洋酒や禁制薬物を密輸するのに利用し始めた
からだ。代わりの輸入業者を探した結果、ジャンビで見つかり、価格は高くなったがスム
ースな入手が実現した。昔は1台15万ルピア均一だったものが品物の状態次第で45万
から70万ルピアにアップしたそうだ。[ 続く ]