「ソロのバティッ(10)」(2025年04月22日)

1741年6月10日、華人戦闘部隊がカルトスロ王宮を攻撃してVOC守備隊指揮官の
ファン フェルゼンを殺した。カルトスロ ハディニンラ王宮の崩壊がそのとき始まった。
最初、華人大虐殺を行ったVOCにカルトスロ王パクブウォノ2世は怒り、華人を支援す
る姿勢を示したが、VOCの調略によって王の心にVOCへの恐怖が芽生えた。王が口に
する華人支援はだんだんと実を伴わないものに変質して行った。ジャワ島の王が自分たち
を裏切ったと華人軍が思ったのも当然だ。カルトスロは砲火を浴びることになる。

王は王宮を逃げ出さざるを得なくなり、徒歩で逃げてラウェヤンの川岸の洞窟に隠れた。
王宮を一緒に出た警護兵や息子と共に馬でVOCの拠点に逃れて保護を得ようと考えた王
はラウェヤンのバティッ商人たちから数十頭の馬を借りようとして使者を送った。ところ
がラウェヤンの住民は王の頼みを拒否したのである。神のような王に対して領民がそんな
反抗をどうして行い得たのか。

ラウェヤンを実質的に支配しているのは女たちだったのだ。実業家にも比すべきラウェヤ
ンの女たちは貴族を憎んでいた。貴族たちの浪費的なライフスタイル、形式的な社会交際、
そしてポリガミに見られる女の人間性を無視する扱い。領主に仕えて貢献したいという気
を持っている男たちの中に、ラウェヤンの女たちが握っている権力を振り払うことができ
る者はいなかった。

ラウェヤンの上流商人も主人が代表者だ。父系性に従って構築されている世の中の価値観
からその地域だけが外れて自立しようとすれば、絶えざる逆風に見舞われて体力を消耗さ
せるのがオチだ。形式面を世間に合わせていれば、無益なエネルギーの浪費はミニマイズ
できる。

しかし現実に事業に関わる権力は奥様が掌握しているのである。そんな構造が自然とポリ
ガミを遠ざける要因になったことは十分に考えられそうだ。ラウェヤンの男性商人たちが
ポリガミを行わなかったのは、もしもそんなことをしたらどんな結末に至るかが読めてい
たからだろう。離婚されて居所も財産も事業主の肩書も失ってしまうのがその結末なので
はあるまいか。


スラカルタ3月11日大学の歴史学者はバティッ事業が女のものになった裏にこんな歴史
があったと推測している。

チャンティンでロウを使って線を引く作業はたいへん根気のいる仕事であり、染色も繊細
な注意力を要求される複雑な仕事だ。そんな作業を行うのに、母親になった女性の忍耐力
にかなう人間はいない。一般的なジャワの男が持っている能力ではなかったのだ。夫が野
良仕事で家から出かけると、妻は家で家事の合間にバティッを作った。バティッ作りの細
かい点まで妻は身に着けることになった。

バティッの生産販売が野良仕事よりはるかに儲かることを知った夫は、野良仕事よりも妻
がバティッ仕事に専念できるように妻を支援するようになっていく。そんな形でバティッ
商人の家庭ができあがり、その事業で成功した家庭がバティッ上流商人になって高い塀に
囲まれた広い土地で暮らし、そこに作業所を設けて女性作業者を雇い、妻が生産の管理と
統率をすべて掌握するようになった。

妻が事業の会計をつかさどり、同時に事業収益から出費される家計も妻が采配する。生産
量を決め、製品をどこへどう流すかという決定も妻が行う。夫に相談することはもちろん
あるだろうが、最終決定は常に妻が行った。

バティッ事業が繁盛するようになると、危険が増加する。泥棒や強盗の危険、営業妨害の
危険、競争相手がアイデアを盗む危険・・・安全を図るために3〜5メートルの高い塀で
居所と作業所を囲い、外部者の侵入ばかりか視界もふさぐことが良策になった。必然的に、
事業と生活が閉鎖的で自己完結的な傾向を帯びるようになっていく。[ 続く ]