「ソロのバティッ(11)」(2025年04月23日)

バティッ事業に奥様の存在が不可欠になるのはそんな歴史に負っている。そんな奥様に対
してMbok Maseという呼称が献じられた。夫はMas Ngantenと呼ばれ、たいていバティッ事
業の四分の一程度を担った。ンボマセにとっては事業の成功が自分のレゾンデートルに関
わっている。その姿勢と女が権力を握るありさまをイスラム原理主義者は嫌い、ンボマセ
はアバ~ガンであり、誕生と葬式だけムスリムになると嘲る者もあった。

ンボマセがバティッ事業の舵を取っていたとはいえ、王国領の首都スラカルタは封建体制
の真っただ中にあった。世の中の常識は父系性の価値観に彩られていた。だからたとえば
子供の結婚についてもンボマセが相手を決め、マス~ガンテンが一家の主人として相手の
家へ結婚申し込みに行った。実質と世間体に合わせる振舞いの折り合いがそんな様相を出
現させた。ラウェヤンでは、一家の経済主権を握るンボマセが一家の重要事項をすべて決
めていたのである。


バティッ事業の相続は母から娘に下ろされるのが普通だが、祖母から孫娘に下ろされるこ
ともあった。バティッ家業の後継者になる娘はMas Raraと呼ばれた。マスロロに対する後
継者教育は4〜6歳くらいから始められた。まだ幼児の娘に金勘定を教えるというのは、
昔は奇矯な行為と見られていたようだ。マスロロは成長するにつれて、ンボマセとマスガ
ンテンの事業パートナーになっていった。

年ごろになると結婚させて家庭経営を実体験させ、次のンボマセになるための経験を積ま
せた。マスロロの結婚相手はンボマセが決めた。マスロロの人生もンボマセに握られてい
たようなものかもしれない。マスロロがンボマセの後継を果たしたあと、自分の体験にも
とづいて次世代のマスロロが作られていった。


ラウェヤンのバティッ商人一家、レッソメジョ家のンボマセであるムリヤニさんは自分の
体験をこのように語っている。かの女は国民学校4年生になってからクレウェル市場とノ
ノガン市場で母の商売を手伝い始めた。

わたしが学校から帰って来る途中に母と路上で出会うと、母はすぐに自分が乗っているベ
チャにわたしを乗せました。わたしは学校のカバンを隣人に預けて母の横に座りました。
「朝目覚めたらbakulになる」という教訓です。笊になる。つまり朝起きたらすぐに商人
になるんです。休憩なんかしてちゃいけない。いつも一生懸命働くこと。まるで働くため
に育てられたみたい。

マスロロは自立して生きなければなりません。まだ結婚する前から父はわたしによく言っ
ていました。「夫の前に手のひらをさし出して『お金を頂戴』という真似をするのは恥だ
と女の子は思わなければいけない」。

ラウェヤンの商人層の間であまり一般的でなかった、娘に高等教育を与えることを両親は
行いました。妹のひとりは博士号を持ち、学術界で活躍しています。わたしもガジャマダ
大学へ入ろうとしましたが、父が病気になったので実現しませんでした。

ラウェヤンで最期のンボマセだったのがムリヤニだ。ラウェヤンが衰退期に入って上流商
人層が次々と商売を閉めるようになり、最後まで残ったレッソメジョ家のンボマセも19
94年に事業を閉じた。ムリヤニは時代の変化に付いていけなくなって、疲れ果ててしま
ったのだ。[ 続く ]