「ソロのバティッ(13)」(2025年04月25日) プリントバティッ生産工場では一日に百コディを超える生産が行われている。ラウェヤン の一日の生産量は20〜30コディだ。手描きバティッともなれば、一枚仕上げるのに3 〜4カ月かかる。何百年もの間、バティッ王国の栄華を誇ったラウェヤンはその変化に打 ちのめされた。たくさんの事業所が商売替えを行い、バティッ生産に携わるラウェヤン住 民が激減した。バティッの歴史の主人公だったラウェヤン町はひっそりと沈んだ町になっ ていった。 もちろん、ラウェヤンバティッ産業の没落をあらゆるイ_ア語論説がジェンダーコンフリ クトに関連付けて語っているわけではない。その論調はむしろ少数派だと言えるだろう。 生産分野に機械を使う工業化が浸透したことがマニュアル作業を主体にする伝統型生産者 を衰退させたという、世界中で起こったストーリーのひとつでしかないという見方がマジ ョリティを占めている。 1970年代に伝統型バティッ産業の後退が進行し、バティッの生産活動と商取引が作り 出していたラウェヤンの町の活気は色あせ、冷たく沈んだ町に変貌した。ましてや高い塀 に囲まれた閉鎖的な大商人のビジネス拠点が、まるで火が消えたようになったのだから。 町の雰囲気はそのせいで閉ざされた印象を一層強くすることになった。 あれほど大きな繁栄を築いたラウェヤンのバティッ大商人たちの間から、子供に事業を後 継させる考えが消えて行った。バティッ業界者は自分の子供に、公務員などの職業に就く ことを勧めた。 1930年のラウェヤンに205のプリブミバティッ事業所がひしめいていた時代から独 立闘争期を経てバティッ産業は浮沈を体験したものの、それでもスカルノ時代には不死鳥 のように復活した。ところがオルバ政権の自由経済方針と工業化政策が伝統型バティッ産 業を叩きのめしたのである。 2004年9月にはラウェヤンのバティッ事業がわずか18になっていた。その18軒は 事業歴が古いところで30年。つまりラウェヤンのバティッ産業は一度滅亡を体験したと 言うことができそうだ。 ところが21世紀に入って、子や孫の世代の間に何百年も続いた家業の復興を考える者た ちが現れるようになった。チョクロスマルトの子孫のひとりは、ラウェヤンの人間には祖 先が培ってきた自営業者の血が流れていると述べている。何の事業を営むかは別の話とし ても、勤め人として送る一生に納得できないものを感じている者がかれらの中にすくなか らずいるようだ。[ 続く ]