「大郵便道路(93)」(2025年04月30日) < パティ Pati > 依然として少し北に偏りながら、大郵便道路はムリア山の南麓を抜けて30キロ東進し、 パティの町に達する。町の中心部にあるアルナルンを通過すると、次の町ジュウォノを目 指してまた北東に進む。ここも国道1号線と大郵便道路はオーバーラップしている。 しかし、大郵便道路がそっくりそのまま国道1号線になっているのかと言うと、そうでも ないのだそうだ。かつての大郵便道路は道の両側に植えられたタマリンドの並木がシンボ ルになっていた。ところが今、国道1号線の道路脇にタマリンドの並木がある場所はあま り見当たらない。 国道1号線は全線が舗装され、おまけに大郵便道路よりも道路幅が広げられた場所が少な くない。そうでなくても、2百年前に植えられたアサムジャワの木に寿命がくれば、同じ 樹種が植えられる保証もないのだから。 大郵便道路がパティまでつながると、ダンデルスはレシデン統治区の首府をジュパラから パティに移した。そのおかげで、それまでたいした意味を持っていなかった町が突然重要 な地位に就くことになった。しかしジュパラがスマランのレシデン統治区に合併されてか らというもの、パティは油の切れかかった灯油ランプのようになった。共和国独立後、元 のレシデン統治区に戻されはしたが、かつてこの町に宿った重要さの光はぼやけたままに なってしまった。 ヒンドゥ時代にこの町は何ら重要な役割を演じることがなかった。せいぜい石像が三つ発 見されたくらいで、その石像は副レシデン館の庭を飾っていただけだ。 ジャワ島のイスラム化推進時代が訪れたとき、スナン クドゥスの高弟マウラナ・マリキ が登場した。かれはイスラムを拒む勢力に殺された。その墓所がパティの市内にある。そ れに劣らず有名なのが、ジャワ文芸作品に書かれた物語だ。 パティのアディパティ プラゴラはマタラムに対する怖れを知らなかった。かれの勇気は ポルトガル人バロン セコベルとの決闘のときも、陰りを見せることがなかった。ジャワ 語で書かれたそんなストーリーが韻を踏んで謡われれるのである。そしてロロ ムンドゥ ッの悲話で終末を迎える。 パティがマタラムに征服されたとき、マタラム軍司令官はパティの美少女ロロ ムンドゥ ッを戦利品として連れ帰った。老齢の司令官はロロ ムンドゥッを妾にしようとしたが、 ロロ ムンドゥッはヌサンタラの海を巡る大商人の息子プロノチトロに恋をし、軍司令官 の望みを拒んだ。若い恋人たちの行く手には死が待ち受けていた。あるヨーロッパ人はロ ロ ムンドゥッとプロノチトロの悲恋をトリスタンとイゾルデの物語に類比させている。 ここも砂糖の産地であり、製糖工場が三つ作られた。今残っているのはそのうちの二つだ けで、サトウキビ農園の総面積は7千Haだ。クドゥスと並んで、パティもカポック綿の大 産地だ。並んで、と言うのは地理的な意味であり、生産量はパティのほうが大きい。19 84年のカポッの木は294万本あり、年間に1万トンのカポック綿が生産されていた。 Java Kapokの名で世界の市場を席巻したカポック綿は今や、世界の市場から遠ざかったと は言うものの、ヌサンタラでは依然としてその王座を保っている。[ 続く ]