「大郵便道路(94)」(2025年05月02日) < パティ Pati > パティ県グンボン郡にあるムクティハルジョ試験農園は19世紀末から20世紀初期にか けてオランダ東インド政庁が行ったエコノミックガーデン政策の一環として設けられたも のだ。商業価値を持つ農作物を興味のある民間資本に栽培させて商業化を図るのがその政 策の目的だった。1905年ごろに、カポック綿はオランダ東インドにおける11大農作 物のひとつに数えられていた。 試験農園に生えている一番老齢のkapuk(別名randu)の木は1934年にボゴールから移 植されたものだそうだ。かつてパティ・ジュウォノ・ムリア山麓一帯にかけて、カポック の木はいたるところに植えられていた。農園ばかりか、家屋の敷地・庭・道路脇・田畑の 畔・・・。ムリア山はカポックの木で覆われていた。 カポックの木に花が咲くと、ひとびとは雨季が来たことを知った。その花が実になってか ら熟して殻が割れると、乾季の到来を知った。風に飛ばされて白い繊維の塊がふわふわと 空中を漂い、道路や空地、家の屋根などに落ちて集まり、まるで雪景色を想像させる景観 があちこちに出現した。 カポック綿の収穫は年一回6月に行われ、商品にするために1月ごろまで加工が続けられ る。高い商業価値を持っていたため、カポック綿農家は半加工や加工済み商品を在庫にし て、資金が必要になると売りに出すことをしていた。加工と言っても、メインは綿を種や 皮からはずす作業だ。綿の塊になれば、そのままですぐに売れた。 カポックの種からminyak klenthengと呼ばれる油を精製することができる。ジュウォノに あるTio Hien Thwan社は大手のクレンテン油生産者だった。1937年創業のティオヒン トゥワンは最初植物油を生産していたが、1971年からクレンテン油の生産を開始した。 10基の生産機械を使って一日24トンのカポックの種を処理していた。種から採れる油 は14%しかなく、ほとんどが搾りかすになった。とはいえ、搾りかすも家畜飼料として の需要があり、またフクロタケ栽培用メディアにも使われた。日本に輸出されたクレンテ ン油は殺虫剤や生麺の鮮度保持に使われた。またカポック樹の皮を焼いた灰から石鹸の材 料になるクリスタルソーダが得られた。 しかしカポックの木は減少の一途をたどるようになり、2006年のパティのカポック樹 作付面積は1.6万Haでカポック綿生産量は年間110トンに低下している。ティオヒン トゥワン社がクレンテン油の生産をストップしてしまったのも当然の帰結だった。[ 続く ]