「芸術会議か芸術家会議か?」(2025年05月02日)

ライター: 短編作家、ソリ・シレガル
ソース: 2016年1月23日付けコンパス紙 "Kongres Kesenian"

文学者のダルマン・ムニルが手を挙げてKongres Kesenianという名称について委員会に意
見を述べた。会議を行うのは芸術家なのであり、芸術がそれを行うのではないのだから、
その名称はKongres Senimanのほうがより適切であるとかれは感じたのだ。自分の意見の
論拠として、かれはムハマッ・ヤミンとSumpah Pemudaの例を引いた。

それが起こったのは、2015年12月2日にバンドゥンで開かれた第3回コングレスク
スニアンのオープニングの場だった。ダルマン・ムニルと実行委員会の間で対話がなされ、
最終的に名称の変更にはいたらなかった。実行委員会は第1回第2回で使われた名称を踏
襲しているだけだと述べて、連続性を維持することにしたのである。

1964年3月1〜7日に開催されたKKPI(Konferensi Karyawan Pengarang se-
Indonesia)もダルマン・ムニルが提出した第3回コングレスクスニアンの名称に関する
疑問に根拠を与えるものだ。そのコンファランスで会議を行ったのはkaryawan pengarang
だったのだから。(そのころ作家はカルヤワンとも呼ばれていた。)

ラダル・パンチャ・ダハナが発起者になって2012年11月25〜27日にマカッサル
で開かれた作家の集会もPertemuan Pengarang Indonesiaになっている、

1970年にアジアでコングレス/コンファランスが開催され、インドネシアの文学者た
ちがオブザーバーとして参加した。台北のThe Third Asian Writers' Conferenceとソウ
ルのThe Seventh International PEN Congressだ。PENという略語はPoets, Essayist, 
and Novelistsの頭字語だ。


ダルマン・ムニルが第一回と第二回のコングレスクスニアンに出席したのかどうか、わた
しは知らない。しかしわたしの記憶によれば、1991年にジャカルタで開かれたコング
レスクブダヤアンにかれはメンバーとして出席している。その際にかれは同じように手を
挙げてその名称についての意見を述べたかどうかまで、わたしは知らない。

この名称の議論については、興味深いものがある。たとえば、Dewan Kesenian、Institut 
Kesenian、Pusat KesenianなどをKongres Kesenianと同類視して妥当だろうか?デワンク
スニアンは芸術関連問題を取り扱う機関であり、インスティトゥックスニアンは芸術教育
を行う機関であり、プサックスニアンは芸術活動のためのセンターだ。その三つはすべて
定常的な活動を行う機関であり、短期間だけ出現するものではない。コングレスやコンフ
ァランスは数日間続くだけの活動だ。そこで行われるのは分析・意見交換・結論・決定そ
して呼びかけや提言の発表といったものになる。一方、デワン、インスティトゥッ、プサ
ッなどは活動そのものよりも機関を示すニュアンスが強い。

やはりこの問題に関わる疑問として、わが国のあちこちの町や地方に設けられている施設
にTaman Budayaという名称が与えられていることが挙げられる。なぜTaman Kebudayaanで
ないのか?かつて中央政府のKementerian Pendidikan dan Kebudayaanの地方行政機構と
してDinas Kebudayaan dan Pariwisataという局の名称が使われた。その名称はどうして
Dinas Kebudayaan dan KepariwisataanあるいはDinas Budaya dan Pariwisataにされなか
ったのか?

組織的命名法に適切さを欠けば、ひとはしばしば名称に疑問を抱き、落ち着かなくなる。
政府機関さえもが命名法を気にしていないのだ。内閣の名前が変わると、省を示す言葉が
DepartemenになったりKementerianになったりする。それが多分、文学者ダルマン・ムニ
ルを落ち着かなくさせたのだろう。その違和感を減らすために、Kongres Kesenianという
タイトルをKongres tentang Kesenianにすればいい。KKPI主催者はかつてそれを行っ
ている。コングレスクスニアン?コングレスクブダヤアン?コングレスを開いたり、集ま
りに出席するのは芸術家であり、文化人である。芸術や文化そのものがそれを行うのでは
ない。