「中華系インドネシア芸術(後)」(2025年05月06日)

中華系インドネシア芸術の活動家もオブザーバーも、独特な作品パターンを世に問う機会
が与えられていない。フォーラムでプレゼンテーションの機会が与えられたとしても、そ
れが発展して行かない。芸術行政の中にかれらが存在できる場が与えられていないのだ。
発言する機会すら得られない。いずれの芸術分野においても、その内容を指示し統制する
指導層にとって、中華系アーテイストは必要とされておらず、果たすべき役割など期待さ
れてもいない。

行政が催す公的な芸術フォーラムの場で取沙汰されるのは民族芸術のバロメータであり、
中華系インドネシア芸術など視野の隅にも置かれていない。社会政治面において中華系イ
ンドネシア芸術のアーテイストたちはエリートの座から締め出され、その結果辺縁部に追
いやられてコマーシャルアートの舞台に活動の場を求めざるを得なくなる。

世の中の一般的なイメージになっている「華人はホモエコノミクス」というステータスに
安住する人間にとってはそこがお似合いの場だということになる。その舞台で能力を示せ
ば、芸術エリートのポジションはますます遠ざかっていく。そして中華系インドネシア芸
術の卵をふ化させる機会も減少する。こうして、愛するインドネシア共和国に趣の異なる
芸術を持たせようとする機会も意欲も、やせ細っていくのである。

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ひとつの国に移住した異人種がその国に新たな文化の色合いを持たせるようになるプルー
ラリズムとマルチカルチャーの重要性は多くの国で理解され受け入れられている。その顕
著な例としてハリウッド映画界が東洋の映画人に広いチャンスを与えていることがたくさ
んのひとに知られている。その結果、ジェッ・リー、ミシェル・ヨーからチヨウ・ユンフ
ァッまでがニコラス・ケージやジョディ・フォスターと一緒に銀幕に登場するようになっ
た。ワシントンにはアフロアメリカン芸術家の作品に特化したミュージアムが作られてい
る。中華西洋風透明水彩画家ドン・キングマンの作品をサンフランシスコの芸術機関が文
房具商品に使わせて社会に流通させている。イギリス王室が中華系混血バイオリニストの
ヴァネッサ・メイを意図的にバックアップしている。フランスは40年前から逃亡中国人
画家ゾウ・ウキとウー・クアンチョンを養って、世界に認識させるためにふたりの存在を
アピールしている。その他にも数え切れないほどの例がある。

それらの事例は、かれら西洋人が喜んで華人移住者に機会を与え、チャイナタウンを作ら
せたことと軌をひとつにしている。その結果、ニューヨーク・ロンドン・パリ・メルボル
ン・シンガポールその他百を超える都市に中華コミュニティが作られた。そのエクスクル
ーシブ性が中華コミュニティをして文化的貢献と人間的融合をそれらの国にもたらすこと
になった。


著名なアイルランド人作家オスカー・ワイルドはこう述べている。芸術創作の目的は芸術
のベールを開くことにあって、作品を創作した芸術家をそれが隠してしまうことは決して
不当なものではない。だから芸術作品を愉しむ者が創作者のことに意を向けなくてもかま
わない。しかし確立された芸術のいくつかの破片が融合した結果生じた、新しいキャラク
ターを持つ芸術の出現は常に迎え入れなければならないだろう。その融合の渦巻きを通し
て一民族の芸術が発展の力を与えられ、豊かさと進歩を達成できるのだから。

昨今、バロンサイを政治ツールに使う現象が流行しているようだが、華人の芸術がバロン
サイただひとつということでないのは、だれにでもわかるだろう。機会さえ与えられたな
ら、中華系アーテイストたちはわれわれが想像するレベルを超える何かをインドネシアに
もたらすことができるにちがいない。おまけにわれわれは、中華イスラム・中華ジャワ・
中華クリスチャン・中華トラジャ・中華バタッ・中華アンボンなどのアートバリエーショ
ンの出現を予想することができる。中華芸術が蓄積した多様な形式と内容は常にオープン
なのだ。われわれはその事実を唐王朝の時代が示す芸術発展に見ることができる。その流
れはさらに宋王朝期に起こった南北間の融合が実例を示している。絵画と書、新旧の観念、
文学と造形芸術、哲学と舞台芸術などの融合がそれだ。

そう、それは過去の世紀にインドネシア民族が持っていたオープン性なのである。インド
ネシア人はオランダ人カロリナ・ヨセフィネ・フォン フランクモンツが生み出したバテ
ィッデザインを受け入れて、1840年以来バティップランケモンというジャンルを認定
したではないか。[ 完 ]