「言葉を発見する」(2025年05月07日) ライター: スエーデン語インドネシア語辞典編纂者、アンドレ・モレン ソース: 2011年5月30日付けコンパス紙 "Penemu Kata" 去る4月14日にロシハン・アンワルが逝去したのに関連して、インドネシア語とジャー ナリズム界へのかれの功績をいくつかのマスメディアが取り上げた。あるデジタルメディ アはロシハンが新しい語彙の発見者兼普及者であると報じた。gengsiとandaはかれが発見 したのだそうだ。 swasembadaという言葉を発見したチェコ出身の科学者ゾリカ・ドゥブロウスカの話はしば しば耳にする。その語はKBBIに採録されてusaha mencukupi kebutuhan sendiriとい う語義が与えられている。ゾリカにはインドネシア共和国大統領がジャサプラタマ勲章を 授与している。 そのふたりの人物の優秀さはさておいて、ここでわたしが興味惹かれている問題は「発見 する」と言われている点だ。その視点はインドネシアの言語学者(の卵)にとってたいへ んにシンパティックで同時に生産性のポテンシャリティを持つものではないかとわたしは 考えている。インドネシア語にとってもそうであることは言うまでもない。 その「ものの見方」はあたかも、言葉とすべての語彙ならびに中枢にある文法法則が常に どこかの場所に存在しており、時おりそれを発見して公共空間に告知するというありさま をわれわれにイメージさせるのである。時には語彙が忘れられたり、あるいは隠れてしま うこともある。ところが勤勉な言語学者は努力することで必ずそれを再発見するのだ。ロ シハン・アンワルやゾリカ・ドゥブロウスカの行ったものがそれだったのである。 じゃあ、新語やセミ新語は発見されるものだという見方にもしもわれわれが合意したなら、 どんなメリットが得られるのか?語彙や言語法則に科学的な特徴を持たせる考えはインド ネシア語自身とその使用者にポジティブな影響を与えるだろうか?答えは簡単。「その通 りだ。」 まず第一に、インドネシア語が豊かになる。まったく新しい語彙や長く忘れられていた語 彙がその発見者によって世の中に紹介されて使われるようになるのである。二つ目として は、グローバル競争の舞台でインドネシア語は簡単に降参しなくてよくなるのだ。三つ目 はインドネシアの言語学者のステータスが上昇して尊敬される職業になり、その仕事の成 果がそれを必要としているひとびとに(意識されないまま)より大量に利用されるように なる。 語彙発見者が頻繁に出現するようになると同時に、発見する行為がたいへん素晴らしいこ とと見なされるようになるにはどうすればよいか?つまりインドネシア語界で語彙の発見 が日常茶飯事になるようにするにはどうすればよいのか? 本当のところ、そのような言語学者は現存しており、いつもハードワークを行っているも のの、一般社会にはそんな出来事が目に見えていないのが実情なのである。というのも、 そんな知的な業績を一般大衆が利用することがあまりないからだ。素晴らしいインドネシ ア語が作られているコンピュータ界の用語を見るがいい。 mengunduh(download), mengunggah(upload), nirkabel(wireless)などはもう立派なイン ドネシア語になっている。他の分野でもたいてい同じようなことが行われているのだ。 われわれはみんな、このような言語面での努力を認識し、実行者を尊重し、成果を日々の 暮らしの中で利用しなければならないのだ。