「西洋医学の導入(1)」(2025年05月12日) 医薬がまだあまり開発されていなかった時代に、人間は病気の対策をさまざまに講じた。 対処方法はたいていが経験則に従ったものになり、世間で言われている「あれがいい」 「これが効く」という話が社会常識になり、学問になった。耳学問と呼ばれる種類の学問 だ。当然、加持祈祷や迷信のたぐいもたくさん混じりこんだ。しかし薬草の効用について はたいへん実用性が高かったから、昔のひとびとは自宅の庭に薬草を植えた。一家のだれ かが病気になれば、自宅の薬草が第一次の処方になった。 世間がそんなあり方であれば、医者の看板を出す者に高い専門性が要求されたはずではあ るまいか。今の時代にはあふれるほどいる、あまり専門性の高くない一般医になったとこ ろで、それで生計を立てるのは難しかっただろうという気がする。医者の数が少なかった という事情の裏側にはそういう因果関係が付随しているように思えるのである。 オランダ東インド政庁は1902年、バタヴィアのヴェルテフレーデンにストヴィアをオ ープンした。School Tot Opleiding Van Inlands Artsen(頭字語でSTOVIA)だ。プリブ ミの医師を要請するための学校である。そこでは西洋医学の基礎が教えられた。 この学校をいくら優秀な成績で卒業しても、オランダ人はその人間を医者として認めなか った。だからストヴィアでもらえるドクトルジャワという卒業証書だけでは、オランダ東 インドで医者になることは不可能だったのだ。医師の助手にしかなれないのである。 だがその当時3千7百万の人口を擁する東インドプリブミ社会に西洋医術を及ぼしていく にあたって、そんな形でスタートせざるを得なかったという事情もわからないでもない。 ストヴィアを卒業してジャワ医師という免状を得たかれらがプリブミ社会で医業を行うこ とを政庁は決して禁止しなかった。見方によっては、それは社会に人種差別を勧めるもの という解釈もできるだろう。 プリブミ社会の保健衛生の向上が政庁の重要課題になった。プリブミ社会を西洋文明化さ せることは、現地民がインドネシアと呼び始めたこの地域をオランダ王国の一部として保 持するための重要な要素であるというコンセンサスが倫理政策という名のもとにオランダ 本国で固まったのである。2百年間のVOC時代と1百年間のオランダ王国植民地の時代 を通して、ヨーロッパの小国オランダを経済大国に育むための屋台骨を務めたのがオラン ダ東インド、つまりインドネシアだったのだ。 その重要な国土をオランダ本国と共に歩み栄えるための土地にするには、現地民をヨーロ ッパ文明の子にしなければならない。そうすることによってはじめてオランダ人とプリブ ミが共に手を携えてダッチコモンウエルスを築き上げることができる。プリブミの文明化 教育はかれらに対する恩返しなのである。 それまで行われてきた愚民政策のために現地民は何百年も昔からのライフスタイルを続け ており、世界で常識になっている医学知識すら持っておらず、疫病がはやればバタバタと 死んでいく。かれらに生活のための基礎的な文明教育を与えて保健衛生を向上させるのは、 倫理政策遂行のために重要な意味を持っている。 しかしまあ、善意に満ちたこの思想の結果がどうなったのかについては語る必要がないだ ろう。思惑とは正反対の方向に進んでしまったこの善意は、いったい何が間違っていたの だろうか? そんな善意政策を執らなくても同じ結果に至っただろうと考えるひともあるだろうが、そ れは歴史のif論議でしかあるまい。ひょっとしたらこの例は、善意には善意が返ってくる というステレオタイプな教訓を信じてはならないことをわれわれに教えているのかもしれ ない。[ 続く ]