「西洋医学の導入(3)」(2025年05月14日)

バンドゥンに有名なオランダ人医師がいた。ドクトルCHAヴェストホフは眼科専門医で、
バンドゥンにRumah Sakit Untuk Orang Butaを創設し、医療活動の傍らに眼科医の卵を養
成した。講義を無料で行い、支援金を与えて独り立ちできるように育てたそうだ。

やはり無料で医師養成を行ったのがパスツール研究所だ。フランスのパスツール研究所は
バタヴィアに1902年に支部を開いた。バタヴィアの研究所はオランダ東インドでワク
チン接種活動の普及に努め、ワクチン接種医を無料で養成して一般大衆向け接種活動を行
わせた。

1914年にペストがジャワ島で猛威を振るったとき、パスツール研究所がその災禍を鎮
めるのに大きく貢献した。パスツール研究所は一般大衆にワクチン接種を行っただけでな
く、石鹸とフォルマリンを使って個人の生活環境を消毒するように指導した。

インドネシアにペストが入って来たのは、1905年に北スマトラのデリ地方に雇われて
きた外国人クーリーがもたらしたものだったという説がある。ジャワ島では1911年に
病禍が爆発して、1万6千人が死亡した。インドネシアのペスト禍の話はこちらをご覧く
ださい。http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/Kawan-31Plague.pdf


そんなエピデミックやパンデミックほどでない、日常的な病気への対処方法として、植民
地時代末期から共和国初期の時代にかけて、さまざまな処方が行われていた。言うまでも
なく、そのほとんどがもっと古い時代から行われていた伝統処方だ。ブタウィ人の古老に
よれば、バラの花を浸けた水やキュウリのジュースが薬として使われていたそうだ。バラ
水は墓参の必需品ばかりでなく、生きている人間にも役立つものだったようだ。

当時のひとびとは普通、庭のある家に住んでいたから、庭には薬草を植え、体の具合が悪
くなった時にその葉や根を使った。赤児や幼児がいる家では小さい子供に発熱など身体の
調子が乱れることがしばしば起こる。赤児が熱を出すと、つぶした赤バワンと細切れにし
たライムをバラ水に溶かし、それを頭と身体に塗る。たいていそれで熱が下がったそうだ。
赤児がひきつけを起こしたときは、タマリンドと赤バワンをつぶしてヤシ油と混ぜたもの
を塗る。赤児が咳をする場合はサゴの葉を揉んで採れた水分を飲ませていた。

赤児や幼児が下痢をした場合、シリの葉を熱してから油に浸し、それを腹に当てて布で覆
い、はずれないように縛る。赤児がまだ授乳期の場合はグアバの葉の汁に塩を少し混ぜた
ものを母親が飲んでおくとよい。

米の粉とバンウコンおよびいくつかのスパイスを混ぜて作る飲み物beras kencurは捻挫や
筋違えに効果がある。大人にも効果があるが、赤児が頻繁に泣くとき、その原因が筋違え
だった場合には、つぶした赤バワンにこのブラスクンチュルを少し混ぜ、それを飲むので
なくて、身体に塗ってやる。

キュウリとセロリ葉のジュースを毎日飲むのが高血圧者に薬効あらたかであるという知識
が世間でよく知られていた。セロリをインドネシア人がスレドリseledriと発音するのは
オランダ語selderijに由来しているからだ。かつてのインドネシア人知識層にとって、ヨ
ーロッパ語はオランダ語であり、英語よりもはるかに身近な言語だった。20世紀後半に
は英語が完全にオランダ語を駆逐してしまい、3千を超えるオランダ語からの借用語がイ
_ア語の中にあるのを知らないインドネシア人が激増している。たいがいのイ_ア人が、
英語語尾の-tionはインドネシア語の-siになると思っているようだ。

口内炎にはsaga(英語はAbrus precatorius)の葉が高い効用を持っている。たいへん苦
いbrotowali(英語名はTinospora cordifolia)は傷や皮膚病の消毒・打撲を鎮める・熱を
下げる・血糖値を下げる・リューマチ・マラリアに効くといった万能薬であり、どこの家
でもブロトワリなどの薬草を水で煮出した汁を常に用意していた。台所の鍋に常備薬の入
っていた時代がそれだ。

普段の家庭生活がそんなありさまだったからジャムゥがとても身近なものになっていて、
ジャムゥ売りが町内にやってくるとほとんどの家から人が出てきてジャムゥを買って飲ん
だ。大量に売れるものだから、ジャムゥ売りは商品を大量に担いで運んだ。

お姉さんがビンに詰めたジャムゥをかごに置いて背負うジャムゥゲンドンはまだ出る幕に
なっていない時代だ。ジャムゥ売りはたいていが男で、おぢさんが天秤棒を担いで売り歩
いていた。[ 続く ]