「大郵便道路(103)」(2025年05月15日) < トゥバン Tuban > 南東に下る海岸線沿いに55キロ進んで、大郵便道路はトゥバンに達する。トゥバンに入 る15キロほど手前にジュヌの港があり、ジャワ島の外から運ばれてくる木材の集積港に なっている。木造船がその地で建造されるようになるのも当然の成り行きで、5千DWT級 の船までそこで作られている。 トゥバンに到達した大郵便道路は町中を海岸に沿って走り、海にほど近いアルナルンの北 側を抜けて東に進んでから、徐々に市街地から離れて行く。そこから先も延々と海沿いを 通って次の町グルシッに北から接近して行くのだ。 ところが国道1号線はトゥバンの町に入る直前で南に右折し、バイパスとなって町の南郊 を通過してから28キロ南下してwingko babatの故郷ババッの町に至り、更にそこから2 7キロ東進してラモガンの町に入る。ラモガンからは少し南東に位置するグルシッを目指 して、国道1号線は西からアプローチして行くのである。 つまりトゥバン〜グルシッ間は大郵便道路と国道1号線がオーバーラップしていないとい うことなのだ。トゥバンの町のほぼ西端にあるアビラマ公園がその分岐点になっていて、 大郵便道路はグルシッまで国道17号線に名前が変わるのである。 ラモガンの町はダンデルスの時代にあまり価値のない地域だったのかもしれない。しかし ラモガン県の海岸部を通る大郵便道路はジャワ島の大動脈でなくなったために、かえって 交通渋滞や道路破損のあまりない、大衆に好まれる道路になることができた。 トゥバンの町の東隣にあるパラン郡、更にラモガン県最北部のパチラン郡にはダンデルス の名前が付けられた道路があり、また商店の看板にもダンデルスの名前が使われている。 ただし綴りがDaendelsと書かれていたり、あるいはDandlesになっていたりするとはいえ、 それらがダンデルス第37代東インド総督を指しているのは明白だ。こんな現象を目にす ると、ダンデルスをインドネシア民族にジェノサイドをもたらした悪逆非道の大悪人とし ている社会常識がこの地方の大衆レベルではまた異なる色合いを帯びているように感じら れて面白い。 ラモガン県では北部の大郵便道路が通っている諸郡にさまざまな行楽施設が設けられ、東 ジャワ州の各地から行楽客が遊びに来るようになったそうで、県内の観光産業は大いに繁 栄している。 トゥバンは古い昔からの港町だった。北のジャワ海に向けて開かれたこの港は、スラバヤ よりもはるかに地の利がよかったにちがいあるまい。中世のジャワ島でこの大きい港町は 重要な役割を果たした。1275年、シゴサリ王クルトヌゴロはトゥバンの港からパマラ ユ軍団を発進させた。スマトラのムラユ地方からトゥマシッ(今のシンガポール)にかけ ての諸王国に対して、北からやってくる脅威に対抗する同盟戦線を張ることがその主目的 だった。北の脅威とはつまり元寇だ。 クビライ汗のアジア制覇の動きにクルトヌゴロは対抗意識を燃やした。北の征服者の歓心 を買うために尾を振る諸王国は討伐するまでであり、ジャワの王権に与する王国とは同盟 を結んで元のアジア制覇の目論見を覆す。そのためにクルトヌゴロは安南の王のひとりと 自分の娘を政略結婚させている。しかしクルトヌゴロの思惑ははずれた。各地の諸王国は 元の軍勢を前にして、属国になることを誓約した。[ 続く ]