「大郵便道路(106)」(2025年05月18日) < グルシッ Gresik > シダユの町から5キロ南に下って大郵便道路はブ~ガワンソロを渡る。そのまま22キロ 南下するとグルシッの町だ。国道17号線はグルシッ市内のマニャルでスラバヤ〜グルシ ッ自動車専用道として分岐し、南を目指す。そしてクボマスで西からやってきた国道1号 線と一緒になり、そこから国道1号線としてスラバヤに向かうのである。 スラバヤに入ったスラバヤ〜グルシッ自動車道はスラバヤ東インターチェンジでスラバヤ 〜グンポル自動車専用道につながり、北に向かえばスラバヤ港、南に進めばグンポルを経 由してマランやパスルアンに至る。 しかしその道路はダンデルスの大郵便道路と異なる道だ。マニャルで自動車専用道に折れ 曲がらず、そのまま道なりにグルシッ港の脇を南東の方角に進んでサマンフディ通りの端 の交差点を右折してからしばらく走ると、グルシッのアルナルンに到達する。そこを越え てその道路をどんどん南に下って行けばスラバヤの北沿岸部に入っていくことになるので ある。 そして最終的にその道はスラバヤ港の西にある巨大な池、モロクルンバガン地区を通過し てスラバヤ港に到達する。モロクルンバガン地区を通るその道路がJl. Gresik(グルシッ 通り)と名付けられているのは、歴史の香りを今に伝えているようで面白い。このグルシ ッ通りはスラバヤ市内の道路であり、スラバヤ〜グルシッ街道と呼ばれているわけではな い。しかし自動車道が作られる以前にはJl. Raya Gresikという名称でグルシッまでつな がっていたのかもしれない。 グルシッの町の北側に位置するグルシッ県ブ~ガ郡スンバヤッ村の中央を大郵便道路が南 北に通過している。村の北側をブ~ガワンソロが東西に流れ、国道17号線は川をまたぐ スンバヤッ橋を越えて村の街区に入って来る。この村にも、郵便馬車の馬を交換し、また 宿泊設備を有するポストが2百年前に設けられた。 1.5キロごとに置かれた馬の交換ポストは大郵便道路をまたぐ形で建てられ、御者はし ばしの休憩をそこで取ることができた。利用者に対する飲食のサービスも行われていたの だ。また、町から離れた大郵便道路には8〜9キロの距離をあけて宿泊施設が設けられた。 交換ポストにせよ宿泊施設にせよ、それらの施設は官費で運営され、公務に就いている者 がその利用者で、管理する者も公務員だった。 民間人は馬の交換ポストで飲食サービスを有料で得ることができたものの、宿泊施設の利 用はレシデンの許可書を持っていなければ不可能で、有料で飲食サービスを得ようとして も拒否された。 ブ~ガワンソロの川岸から20メートルほど離れて建てられたスンバヤッ村のこの施設を 地元民はbrakと呼んだ。道路をまたいで建てられているその建物は15メートルくらいの 長さだったと言われており、建物が覆っている5.5メートル幅の道路を2台の自動車が すれ違うことができたと地元の老人は語っている。 既に大部分が朽ち果てたブラッは2000年を過ぎるころまでその偉容を見せていたもの の、ブガワンソロの護岸工事のための重機の通行に支障をもたらすことから、2003年 ごろから少しずつ建物が崩されはじめ、使われていたチークの柱や梁などが外されてしま った。 ダンデルスは1808年にスンバヤッ橋から10キロほど北東に位置するブガワンソロの 河口のひとつ、ム~ガレにロドヴェイク要塞を建設した。その土地は島のようになってい て、1キロほどある島の周囲を要塞の城壁が取り囲んだ。イギリス東インド会社軍のジャ ワ島侵攻に備えた布石だったことは言うまでもない。グルシッ〜スラバヤの防衛力向上が かれの重要方針のひとつになっていた。 打ち寄せる波浪が海岸の構造物を破壊し、また海岸自身も崩壊していくため、1965年 ごろからロドヴェイク要塞はどんどん崩れはじめた。今残っているのは10%くらいだと 地元民は語っている。[ 続く ]