「借りても返さない(4)」(2025年05月20日) かつて、インドネシアはオランダの植民地であり、マレーシアはイギリスの植民地だった ために、宗主国言語がそれぞれの国民生活の中で大手を振って横行していた。宗主国から 新しい物品や観念がもたらされると、植民地の民はそれらを呼ぶのに新しい言葉を作るこ とをめったに行わず、宗主国言語の語彙を使うのが普通だった。 昔の言語生活というのは音声言語が大部分を占め、文字言語はたいへんマイノリティだっ たために、原語の発音を植民地の民衆は摂りこんだのである。借り入れたわけではない。 英語もオランダ語も、ムラユ語系言語使用者にとってはなじみのない音をたくさん含んで いるから、音として摂りこまれた外国語の中に、原音からかなり外れたものもたくさん混 じることになった。これはまあ、ご愛嬌の部分かも知れない。 VOCがスマランのコタラマに要塞を建てたとき、西から要塞地区に入る橋を1705年 ごろに設けた。オランダ人はその橋をオランダ語で橋brugと呼んでいたので、それを固有 名称と思ったプリブミはその橋をブリュフ橋と呼ぼうとした。そしてなんと、プリブミの 呼ぶ橋の名称がジュンバタンブロッJembatan Berokという音になった。オランダ語とイン ドネシア語(ジャワ語)が両方判る人間には「橋橋」と言っているように聞こえる。 Berokの頭にMが付いてMberokと書かれているネット情報もあるが、これはジャワ人特有の medok発音を厳密に表そうとして添えられているものと思われる。語頭が/b/の場合にジャ ワ人は往々にして/mb/と発音する傾向が高いためにこのようなことが起こる。だから/m/ を書かない綴りを標準綴りにしている語彙も少なくない。 他にも、ヨグヤカルタにあるJembatan Kewekはオランダ人が道路をKerk Wegと呼んでいた ため、その道路にある橋をプリブミがケルクヴェフの音に従ってケウェッと名付けたとい うのが名前の由来らしい。 バタヴィアのタナアバンという地名の語源は赤土という意味でないという説がある。主張 者の話はこうだ。その地域の地名を地元民は昔からNabangと呼んでいた。オランダ人の統 治が始まり、オランダ人は冠詞deを付けてDe Nabangとそのエリアを呼ぶようになった。 ドゥナバンがプリブミの耳にTenabangと聞こえた。プリブミがオランダ人に倣ってそのエ リアをトゥナバンと呼ぶようになり、そのうちにトゥナバンとはtana-abangのことだろう という解釈が生まれて、正式名称はTanah Abangのはずだと有識者たちが考え、今の地名 の綴りTanah Abangができあがった。 アルフレッド・ラッセル・ウォレスがアル島奥地のワヌンバイを訪れたとき、地元民はウ ォレスの国名を知りたがったのでEnglandと正直に答えたにもかかわらず、嘘をついてい ると疑われた話がある。地元民はみんなその言葉を真似したが、うまく発音できなかった。 するとひとりの老人が、本当の名前を教えろと言い出した。 「このわしの国はワヌンバイで、わしはオランワヌンバイ。ほら、誰にでも言えるだろう。 ところがあんたの国は何だって? Ang-lang? Anger-lang? N-glung? そんな誰にも言えな いような名前の国があってたまるか。あんたはわしらをからかっているのか?それとも何 かわけがあって本当の名前を隠したいんだろう。」 オランダ語のarchiefはarsipに、architectはarsitekになった。とはいえ、chemieがイン ドネシア語でkimiaになったように、常に/ch/が/s/に置き換えられたわけでもない。音オ リエンテーションが高かった時代は決定要因の中に人間の感性が大きく影響していたよう に思われる。 ritssluiting(ジッパー)やbrandweerwagen(消防車)は人間の感性の誤差範囲に従って ritsleting/resleting/sereting、bramwir/branwirなどの変種がいろいろと出現した。 [ 続く ]